72年前の沖縄戦で「集団自決(強制集団死)」が起きた読谷村波平のチビチリガマが9月に少年らによって荒らされた事件。遺族や関係者に強い衝撃と悲しみを与えるとともに沖縄戦の実相を継承することの大切さ、平和教育の在り方を多くの人が改めて考える機会となった。

足元の歴史を見つめ直し、継承しようと知花昌一さん(左から2人目)からチビチリガマの惨劇を学ぶ読谷村の新成人=12月2日、読谷村波平

 ガマ入り口付近の看板や千羽鶴などが壊されているのが発覚したのは9月12日。平和学習の案内を続ける知花昌一さん(69)が見つけた。ガマには現在も遺骨が残り、遺族は墓と位置付ける。そのガマ内の遺品や遺骨にまで手をかけられたことが遺族の怒りと悲しみを増幅させた。

 関係者が真っ先に思い浮かべたのは1987年のこと。ガマ入り口付近の「世代を結ぶ平和の像」が右翼団体構成員に破壊された事件だ。再び政治的な背景が事件を招いたのではないかという臆測も一部で浮上した。

 発覚から3日後の15日。器物損壊容疑で逮捕されたのは本島中部に住む当時16~19歳の少年4人だった。10月に那覇家裁が4人を保護観察処分とするが、供述内容にも波紋が広がった。チビチリガマを心霊スポットとみなし「肝試しのためにやった」ことが分かったからだ。

 家族に手をかけるという極限の行為。遺族は戦後長らく語ることさえできなかった。苦しみを一つずつひもとくように重い口を開き、平和学習の場となった。こうした経過さえも4人の少年には伝わっていなかった。

 一方で事件を機に沖縄戦の実相を継承しようという動きも生まれた。平和学習でガマを訪れたことがある県外の修学旅行生らから続々と千羽鶴や手紙が届いた。村内では読谷中女子バスケットボール部がガマに千羽鶴を供え、新成人を迎える村内の10人は改めてその歴史を学んだ。いずれも初めてのことだ。

 4人の少年は12月6日、事件後初めてガマを訪れ「やってはいけないことをしてしまった」と遺族らに謝罪した。年明けからガマの清掃などを通して事件や歴史と向き合う姿勢を示す。

 遺族会の與那覇徳雄会長は「悪いことは悪い。だが、少年が成長して更生することを願っている。最後まで見守っていきたい」と言う。そして「ここを守りながら沖縄戦の実相を伝えていきたい」とさらに意を強くする。(中部報道部・溝井洋輔)=おわり