先日、ある論壇誌の編集者と会話した際に、こんな嘆きを聞いた。「もっと沖縄の特集をやりたいのだが、沖縄特集と銘打つと売り上げ部数が如実に伸び悩む」。私もこの現状は皮膚感覚でわかる。沖縄の基地問題は、日本全体の問題であり、日米関係の矛盾の濃縮したかたちでの表れなのだ、という認識が本土ではいまだに広まっていない。だから政府は、「反抗的な」翁長県政を懲らしめるために、来年度の沖縄振興予算の削減を平気で行える。

沖縄と国家(KADOKAWA・864円)

 しかし、東京の政府が認識の広まりまで禁圧できるわけではない。茫漠(ぼうばく)たる無関心が、メディア関係者や知識人といった世論形成者をも「自然に」覆っているのである。辺野古や高江で基地建設反対運動の先頭に立ってきた山城博治氏が、不当な長期拘束からようやく解放されたとき、山城氏の主張をどの在京メディアよりもしっかりと取り上げたのは、あろうことか「星条旗新聞」であったことを知ったとき、本土の政府だけでなく市民社会も、現状では沖縄基地問題に対処する能力を持っていないことを私は確信した。

 辺見庸氏はこのような本土を、「思考力と記憶力と反抗心」を失った「愚民」の住む「クソみたいなところ」と容赦なく形容し、目取真俊氏の批判は日本政府はもちろんのこと、本土の沖縄問題への共感者にも向かう。自己満足を目的とした共感など有害無益だと。

 私が両氏と認識を共有するのは、本土の現状には何の希望も見いだせない、という点においてである。北朝鮮からの核ミサイルに備えると称して、頭を抱える訓練をしている人々の姿を見るがよい。社会的無関心と無知から生じた政治的幼児性は救いがたい水準に達しており、その姿に映し出されているのは社会の崩壊である。

 そして、沖縄問題への対応(正確には、対応能力の欠如)にこそ、この劣化が最も明瞭に表れている。本土の読者たる私は、このような腐敗物と沖縄はやがて手を切るだろうことを予測させる「警告」として、本書を受け取った。沖縄の読者に、本書は何を与えるだろうか。それは、ある種の覚悟や決意であるかもしれない。(白井聡・京都精華大専任講師)

 【著者プロフィール】へんみ・よう 1944年宮城県生まれ。早大卒。70~96年共同通信社でハノイ支局長や編集委員。91年「自動起床装置」で芥川賞。「もの食う人びと」など著書多数▽めどるま・しゅん 60年今帰仁村生まれ。琉大卒。97年「水滴」で芥川賞。「魂込め」など著書多数