映画監督 古波津陽さん(44)=東京都出身

 福島に生きる人たちが何を考え、どんな話をしているのか。10年計画で福島のドキュメンタリー映画を撮り続け、今年で6年目。東日本大震災の被災者と時間をかけて向き合い、直接聞いたことを観客に伝えている。社会の中で辛酸をなめる人々へのまなざしには、平和・人権運動に生涯をささげた亡き祖父の教えが投影されている。

亡き祖父との思い出や映画に込める思いなどを語る古波津陽監督=東京都内

 祖父は「沖縄民権の会」を立ち上げ、本土での大衆運動をけん引した古波津英興さん(1999年に91歳で死去)。亡くなる2年前、一緒に沖縄へ行き、読谷村のチビチリガマや米軍楚辺通信所(通称・象のオリ)などを回った。

 観光地ではない沖縄。そこで起きた出来事を生々しく語る祖父。〈その土地の歴史を知り、敬意を持って歩きたい〉。話を聞くにつれ、そんな思いが湧き上がったことを覚えている。

 高校卒業後、東京の映画学校に入ったが、反りが合わずに1年余りで退学し、グラフィックデザイナーを5年間勤めた。やりがいはあったが、「観客をいざなう物語が作りたい」という思いが募る。貯金をはたいて自主制作の短編「築城せよ。」を完成させた。

 何のつてもない中、映画の都・米ハリウッドに飛び、世界最大級の映画見本市「アメリカン・フィルム・マーケット」へ。各国のバイヤーが集う会場のホテルに、甲冑(かっちゅう)姿で乗り込んだ。

 当然のごとく警備員に止められたが、宣伝のチラシを必死でばらまいた。日本の若者の訴えはある映画関係者の目に留まり、「作品を見たい」と言ってくれた。その後、その人との交渉が成立し、全米でのDVD発売が実現した。「無知だからこそできた」。当時を振り返り、苦笑いする。

 13年、福島出身の女優、佐藤みゆきさん(33)と出会い、記録映画を撮り始めた。「1年では何も分からない。やるなら10年」。毎年1本ずつ公開する意味を込め、タイトルを「1/10 Fukushimaをきいてみる」に決めた。

 視聴者を泣かせたいという過剰な演出を嫌う。映画は、ありのままの福島の人々を映し出す。「効率よく編集してしまうと『情報』しか残らない。言葉を絞り出す迷い、ためらいも伝えたい」。興行ではないと考え、上映会は無料。声が掛かれば全国どこでも赴く。

 社会的弱者に寄り添い、民衆の側から権力に向き合う祖父の言葉や生きざまは、今も脳裏に残る。「どこかオジーの影響を受けたのかな」。取材の合間、回想するようにつぶやいた。(東京報道部・西江昭吾)=連載・アクロス沖縄<72>

 【プロフィール】こはつ・よう 1973年、東京都生まれ。自主制作の短編「築城せよ。」が2006年のサンフェルナンドバレー国際映画祭の外国語映画賞を受賞。09年に長編が制作され、沖縄でも公開された。性同一性障害をテーマにした「ハイヒール革命!」やドラマ「炎の経営者」(フジテレビ)、「お父さんは高校生」(BSプレミアム)などを手掛けた。問い合わせは、fukushima.ask@gmail.com