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野中広務さん死去:「沖縄寄り添った政治家」 県内から惜しむ声

2018年1月27日 13:19

 戦争を体験し、沖縄の振興や基地問題に強い思いを抱いてきた野中広務さんが26日、亡くなった。山中貞則さんや小渕恵三さんらから続く「沖縄族」の重鎮の訃報に、県内でも悼む声が上がった。

沖縄サミット閉幕から2週間後、沖縄タイムス社を訪ね、普天間飛行場代替施設の15年使用期限問題などについて意見を交わす自民党幹事長の野中広務さん(右)。左は青木幹雄さん=2000年8月10日

大田昌秀知事(左)と基地問題や振興策などについて意見を交わす野中広務幹事長代理=1997年3月21日、県庁

沖縄サミット閉幕から2週間後、沖縄タイムス社を訪ね、普天間飛行場代替施設の15年使用期限問題などについて意見を交わす自民党幹事長の野中広務さん(右)。左は青木幹雄さん=2000年8月10日 大田昌秀知事(左)と基地問題や振興策などについて意見を交わす野中広務幹事長代理=1997年3月21日、県庁

原点に贖罪意識

 元知事の稲嶺恵一さん(84)は先週、野中さんの京都市内の事務所に電話をかけ見舞いを申し入れたが、家族以外は面会できないと断られたという。「かなり具合が悪いのかなと心配していたが。非常に寂しい」と惜しむ。

 特に印象深いのは2000年の沖縄サミット。その前年の開催発表前日、内閣官房長官だった野中さんから直接「準備はできているだろうな」と電話があったという。「(首相の)小渕さんの意をくみ、野中さんが大変な政治力を発揮してくれた」。戦争で廃墟(はいきょ)となった沖縄への贖罪(しょくざい)意識が原点にあったとし「政界を引退されてからも、沖縄に寄り添う心をずっと持ち続けていた」と振り返った。

 米軍普天間飛行場返還問題では、県や名護市に県内移設容認を迫った。

 1997年、当時の比嘉鉄也名護市長(90)が海上ヘリ基地建設の受け入れを表明し辞任すると、涙を流したというエピソードも。比嘉さんは「基地のあるなしに関係なく北部の振興を考えてくれた。道路や通信網も整備され、観光客が多くなった沖縄をもう一度見てほしかった」と話す。

 一方、名護市議の仲村善幸さん(70)は名護市沖への移設受け入れを問う市民投票時、ヘリ基地反対協議会の事務局長だった。政府は市民投票が公選挙法上の選挙ではないとの理由で那覇防衛施設局職員を投入。「今と手法は違うが、民意を踏みにじろうとする構図はあの時から変わらない」

 政界引退後、安倍政権への危機感を示した野中さんを見て「保守でもリベラルな人だったのだろう」と思いをはせる。「寄り添う心があった野中さんに20年前の介入をどう考えているのか語ってほしかった」

 親交があった元日本青年会議所会頭の安里繁信さん(48)は「若造の意見にも耳を傾けるお父さんのような存在。基地問題に大きな進展がないことに心を痛めておられたのに『沖縄は大丈夫』と報告できなかったのが心残りだ」と語った。

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