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6000人押し寄せた奥武山体育館 序盤のダウン響き、判定負け【沖縄で世界戦・悲願の初勝利へ 3】

2018年2月1日 18:08

 沖縄で2度目の開催となったボクシング世界戦に挑んだのはフリッパー上原(本名・上原晴治)=興南高-日大出、協栄。後輩の具志堅用高(協栄)が県勢初の世界王者となり、県民は2人目の誕生を待ち望んでいた。1977年5月29日、奥武山体育館で世界ボクシング協会(WBA)フェザー級世界戦に挑戦して敗れたフリッパーもまた、沖縄の地で4人目の世界戦に臨むWBCフライ級王者の比嘉大吾(白井・具志堅スポーツ)とは縁があった。(當山学)=敬称略

オルテガと打ち合うフリッパー上原(左)=1977年5月29日、奥武山体育館

1977年のオルテガとの世界戦を語るフリッパー上原さん=那覇市内の自宅

オルテガと打ち合うフリッパー上原(左)=1977年5月29日、奥武山体育館 1977年のオルテガとの世界戦を語るフリッパー上原さん=那覇市内の自宅

◆フリッパー上原氏、心から応援

 60~70年代にアマチュア時代から沖縄ボクシング界を引っ張ってきた上原康恒とフリッパーの兄弟。弟は県勢初の全日本王者となった。76年にガーナで初の世界戦に失敗したが、その後に兄の康恒(協栄)や具志堅用高とのハワイ合宿で力をつけた。自身2度目の挑戦に向け「怖いことは一つもなかった」。

 奥武山体育館には空調がなく氷柱が置かれた。6千人の観衆が集まって立ち見も出た。前座の日本ジュニアライト級の試合で兄がKO勝ちしたこともあり、盛り上がりは最高潮に達していた。

 だが「魔術師」の異名を持つ王者ラファエル・オルテガ(パナマ)から1回に不用意にもらったパンチでスリップ気味のダウン。4回に2度目のダウンを喫した後には攻勢に転じたが、序盤の劣勢は覆らず判定負けとなった。

   ■    ■

 このころからフリッパーと具志堅は仲たがいして、最近まで疎遠な関係が続いていた。沖縄のホープ比嘉の快進撃さえ、具志堅のジムにいることが原因で素直に喜べずにいた。

 フリッパーが引退後に開いたジムで日本ジュニアミドル級1位まで育てた教え子で、後に宮古工業高校監督となる知念健次に対して「(同校にいた比嘉を)具志堅のジムには行かせるな」と言っていたほどだ。

 だが昨年、テレビ番組の企画がきっかけで約40年ぶりに具志堅と和解。「知念君から『大吾には、フリッパーさんから教えてもらったことを全部教えました』と報告があった」と感慨深げに振り返る。

 「大吾のボクシングは僕と似ている」。65歳になった今、比嘉をまな弟子のように心から応援できるようになった。(所属ジムは当時)

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