子どもの頃、祖父が弾く三線を見て興味を持った。小学校低学年の時期には、米軍の電話の線を糸にしてカンカラ三線を作って遊んだという。村芝居で聞いた「瓦屋節」も情を込めた歌い方で好きになった。  ずっと三線は好きだったが、本格的に学び出したのは仕事を引退した65歳から。