放送ジャーナリストの著者による名護親方(程順則)の「いろは歌」への9年余の真摯(しんし)な対峙(たいじ)と、真剣な挑戦から生まれた実にユニークな本である。常識を超越した論考は説得力があり、旺盛な研究心が随所に見られる。分類やテーマの設定、組歌と歌のこころの表現。最も読者の意表を突くのは各段階(各章)ごとの対談だ。300年の時空を飛び越えた「名護親方」と、今を生きる「学」君との対談は独創的で臨場感も満点だ。

名護親方の「琉球いろは歌」の秘密(沖縄タイムス社・1080円)

 「琉球いろは歌」は、名護親方が中国から持ち帰った「六諭衍義(りくゆえんぎ)」の教えを広めるために詠んだ琉歌である。「六諭衍義」は、かつて江戸幕府の寺子屋教育や、明治以降の日本の道徳教育にも大きな影響を与えたとも言われている。

 名護親方が「六諭衍義」を持ち帰った1708年から逝去した1734年の26年間は、琉球が大きく変化した疾風怒濤(どとう)の時代であった。「琉球いろは歌」が創作された時代と、現状の沖縄が酷似し、相似形の様相を呈している。歌の背後にあるものを考察すると、現代の私たちと後世の人々に残した名護親方の「今を生きる指南書」であるともいえる。と、著者は「あとがき」に記している。

 尚敬王の時代(即位1713年)には、名護親方程順則、羽地王子向象賢、具志頭親方蔡温、玉城朝薫、平敷屋朝敏等が輩出し、1719年の冊封では「組踊」の初演。さらに琉球芸能の勃興、和文学の隆盛も見える。反面、1734年には薩摩在番所への「落書事件」で友寄安乗と平敷屋朝敏ら十数人が、琉球では前代未聞の斬首などの刑を受け人々を震撼(しんかん)させた。

 その頃、1728年に名護親方は名護間切総地頭に任ぜられた。くしくも朝敏らの処刑の年に名護親方も他界する。それまでの6年間は、首里、那覇での喧騒(けんそう)に巻き込まれず、治政と学問に没入し、人々から名護聖人と呼ばれ慕われている。この事は、額面通り「無風」なのか、または「秘密」の匂いを感じるのか。探求心と洞察力にたけた著者のご賢察を拝聴してみたい。(眞境名正憲・伝統組踊保存会会長)

 【著者プロフィール】うえま・のぶひさ 1947年今帰仁村生まれ。元琉球朝日放送社長