上地流開祖、上地完文(かんぶん)氏(1877〜1948年)の銅像が生誕地である沖縄県本部町の八重岳「桜の森公園」に建立される。建立へ向けて取り組んできた上地流空手道協会会長で四代目宗家の上地完尚(さだなお)氏(46)=宜野湾市=は「やり遂げる事ができた」と感慨深げ。21日には同地で除幕式があり、偉大な曽祖父との対面を待ち望む。(社会部・西里大輝)

上地完英氏が愛用した三線を手にする妻シゲさん(右から2人目)。孫で四代目宗家の完尚氏(同3人目)と完司氏(右端)、完友氏が祖母シゲさんを笑顔で囲む=9日、宜野湾市普天間

21日の除幕を待つ上地流開祖・上地完文氏の銅像(上地完尚氏提供)

上地流開祖・上地完文氏(新垣国広氏提供)

二代目宗家上地完英氏(四代目宗家上地完尚氏提供)

三代目宗家上地完明氏(四代目宗家上地完尚氏提供)

開祖・上地完文翁の銅像建立を喜ぶ上原武信氏=11日、那覇市小禄

(写図説明)上地流空手道宗家修武館の門下生と裏拳を決める上地完尚氏(2列目左から3人目)=9日、宜野湾市普天間

上地完英氏が愛用した三線を手にする妻シゲさん(右から2人目)。孫で四代目宗家の完尚氏(同3人目)と完司氏(右端)、完友氏が祖母シゲさんを笑顔で囲む=9日、宜野湾市普天間 21日の除幕を待つ上地流開祖・上地完文氏の銅像(上地完尚氏提供) 上地流開祖・上地完文氏(新垣国広氏提供) 二代目宗家上地完英氏(四代目宗家上地完尚氏提供) 三代目宗家上地完明氏(四代目宗家上地完尚氏提供) 開祖・上地完文翁の銅像建立を喜ぶ上原武信氏=11日、那覇市小禄 (写図説明)上地流空手道宗家修武館の門下生と裏拳を決める上地完尚氏(2列目左から3人目)=9日、宜野湾市普天間

 銅像は台座を含め約5メートル。開祖の立銅像としては県内初という。銅像建立は父で三代目宗家完明氏(1941〜2015年)の悲願だったと長男・完尚氏。父の志を引き継ぎ、夢をかなえたいと考えていたところ、同門の重鎮で県指定無形文化財保持者の上原武信氏(88)に背中を押され、建設を推し進めてきた。各会派も銅像建立を願っており、流派一丸となって取り組み、建立地の本部町も銅像建設に意欲的で積極的に支援した。

 完尚氏は「上地流として目に見えるものを世に残せることがうれしい。海外空手家が宗家道場を訪問後、巡礼地として銅像建立地も訪れる。伝統空手の普及にもつながると思う」と期待した。

 四代目の兄を支えた次男完司氏(44)、三男完友氏(37)も建立を待ちわびる。式の当日は奉納演武で上地流伝統の型「三戦(サンチン)」を披露する。完司氏と完友氏は「誇りに思う。偉人の足跡を私たちが守り続け、次世代に引き継いでいかなくてはならない」と気を引き締めた。

 完尚氏らの祖母で二代目宗家完英氏(1911〜91年)の妻シゲさん(100)も建立に「皆さんのおかげです」と感謝。完文氏は「ドンと構える寡黙な武人」、完英氏は「優しく、静かな人」だったと思い返し、娘の知名竹子さん(78)らと完英氏が芝居の巡業で空手を披露していたというエピソードや、伊江島で逝去した完文氏が沖縄本島に船で戻る際の逸話を語り合い、当時を懐かしがった。

 うれしそうに話す宗家一門の様子に完尚氏も笑顔。「父の悲願を成し遂げることができた。父は上地流の本も出したがっていたので四代目としてそれにも挑戦したい」と意欲を見せた。

銅像建立 会派「一枚岩に」

県指定無形文化財保持者 上原武信氏(88)

 三代目の上地完明氏は生前、祖父の完文先生の銅像建立を考えていたという話を遺族から聞いた。私の父三郎は完文先生の直弟子。建立は私の夢でもあった。また、二代目の完英先生が全沖縄空手道連盟の会長時、私は理事として先生を支えた。宗家とは今も強くつながり、信頼されていると思っている。

 この間、上地流はいろいろあって分裂した。だが、銅像建立で統一しようとの機運が高まり、少しずつ昔のような一枚岩の上地流に戻っていくと期待している。また、今回のことでほかの流派でも自分たちの師の銅像を造ろうとの動きやムードも出てきている。いいことだと思う。

 挫折しそうになったこともあったが、建立委員会の委員長で四代目の完尚氏(46)や事務局長を務める新垣国広氏(47)ら若いメンバーが英知を集め成し遂げてくれた。大変うれしく思っている。