社説

社説[イラク日報公表]派遣の全容検証し直せ

2018年4月18日 07:53

 2004年から06年にイラクに派遣された陸上自衛隊の日報が公表された。防衛省が「ない」と言い続けてきた記録から浮かび上がるのは、死と隣り合わせの活動である。「非戦闘地域」という説明はまやかしで、やはり「派遣ありき」だったのではないか。

 自衛隊のイラク派遣は、イラク戦争後の人道復興支援を名目に、イラク特措法に基づき実施された。政府は憲法9条が禁じる海外での武力行使を避けるため、戦闘が行われない「非戦闘地域」という概念を設け、延べ約5500人を南部サマワに送った。

 しかし公表された日報には、サマワの治安情勢として、英軍のパトロールに反感を持った地元民兵が射撃し始めたことに端を発し「戦闘が拡大」との記述がある。自衛隊の車列近くで路上爆弾が爆発し「ミラーは割れて落下、車体には無数の傷」などの生々しい報告も。「戦闘」の文字もたびたび登場する。

 攻撃が多発した時期の日報の大半が欠落し全容が見えにくい側面があるが、「非戦闘地域」で戦闘があったとなれば派遣の根拠は揺らぐ。

 04年11月の党首討論で小泉純一郎首相は「自衛隊が活動する地域が非戦闘地域だ」と開き直った。安保政策の転換点にもかかわらず、とにかく派遣しないと日米関係が崩れるという「対米追従」が根底にあったのだ。

 イラク特措法が想定した「非戦闘地域」と現実とのギャップが、その後の情報隠蔽(いんぺい)につながったのではないか。

■    ■

 当時の政府判断の妥当性も問われている。

 米英軍がフセイン政権下のバグダッドを空爆し、イラク戦争が始まったのは03年3月。大量破壊兵器を持っているというのが先制攻撃の主な理由だった。政府はいち早く支持を表明した。

 ところが04年10月に米政府調査団が報告書をまとめ、大量破壊兵器がなかったことが明らかになった。参戦した英国も報告書を作成し、「参戦は失敗」と結論付けた。

 一方、日本政府はいまだに詳細な検証を行っていない。

 15年に成立した安全保障関連法では、自衛隊の活動地域が「非戦闘地域」から拡大された。今回の日報が当時公表されていれば、議論に大きく影響しただろう。

 イラク派遣そのものの検証だけでなく、安全保障関連法についてもイラク派遣の経験を踏まえ、その中身を検討し直すべきである。

■    ■

 イラク日報は昨年2月、国会で当時の稲田朋美防衛相が「見つからなかった」と答弁したものだ。実際は翌3月に陸自内で見つかっているが、大臣には報告されず、情報公開請求に対しても「ない」と嘘(うそ)を重ねてきた。小野寺五典防衛相に報告されたのは今年3月末である。

 これは単に文書管理のずさんさで済まされる話ではない。隠蔽の常態化であり、政治による軍事の統制というシビリアンコントロールの機能不全だ。

 「情報開示」「説明責任」の重要性を組織全体に浸透させる再教育が必要である。

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