甲子園通算29勝を誇る栽弘義(故人)が初めて甲子園出場を果たしたのは、1975年春の第47回選抜大会だった。豊見城を甲子園初出場に導き、年齢制限で選手登録できない亀谷興勝を「監督」に仕立てて、自身は「部長」としてベンチに入った。当時の豊見城は優勝からはほど遠い「C」ランク。