興南の我喜屋優監督は「100回大会だけは、どのチームよりも出たい気持ちが強かった」と実感を込めた。1968年に主将として出場し、沖縄勢初の4強進出。興南旋風から50年目で決めた甲子園出場は、喜びも格別だった。

1968年夏の甲子園3回戦で海星を破り笑顔を見せる興南の我喜屋優主将(左)

100回記念大会の出場権を得て、報道陣の取材に意気込みを語る興南の我喜屋優監督

1968年夏の甲子園3回戦で海星を破り笑顔を見せる興南の我喜屋優主将(左) 100回記念大会の出場権を得て、報道陣の取材に意気込みを語る興南の我喜屋優監督

 冬から春にかけ、けが人が続出した。2年連続出場が懸かる中、改めて原点に立ち返って朝の1分間スピーチや部屋の清掃などを徹底した。「やり残したことがあるとミスが出てくる。基本に戻ったことで頼もしくなった」とナインの成長に目を細めた。

 節目の出場に、周囲からの期待は高まる。「春に大阪桐蔭などと練習試合を行い、全国のレベルも知っている。舞い上がらず、足元からしっかりやっていきたい」と引き締めた。