今年で21年目を迎える沖縄リハビリテーションセンター病院(沖縄市)を始め、ユインチホテル南城など幅広く事業を展開するタピックグループ。医師であり事業家でもある宮里好一代表が本紙インタビューに対し、これまでの歩み、事業に対する情熱を語り、未来志向の壮大な計画を初めて明らかにした。聞き手は沖縄タイムス社の武富和彦社長。(企画・制作 沖縄タイムス社営業局)

[ことば]レジリエンス 回復力、弾力などの意味を持つ。「さまざまな環境に適応し生き延びる力」として使われる。

理念実現目指し創業

 武富 沖縄リハビリテーションセンター病院の件で取材させていただいたのはもう四半世紀も前になりますでしょうか。当時から宮里さんはリハビリ専門の病院を沖縄につくりたいという情熱をお持ちでした。精神科医の宮里さんがなぜリハビリに興味を持たれたのか、不思議でした。そこにタピックの原点があるような気もしますので、お聞かせ願えますか。

タピックグループ代表 宮里好一氏(医学博士)

 宮里 琉球大学医学部在籍中から神経科医として、増加しつつあった認知症の治療を担当していました。脳血管の障害から起きる脳梗塞にはリハビリが有効であることが知られていました。同じ脳血管障害で生じる脳血管性認知症患者もリハビリを実施することで、よくなるのではないかと考えたのです。リハビリについて調べる過程で、精神、身体の障がい、子どもの発達障がいの分野まで含めた統合的なリハビリが必要だと感じるようになりました。

 武富 1990年に琉球大学医学部付属病院の医師から、宮里病院(名護市)の院長に転身されました。公務員医師には困難な理念の実現を目指したようにも見えました。

 宮里 北部地区医師会から琉大医学部付属病院に対し、「名護の精神科の病棟が閉鎖し、困っている患者がいる。院長を派遣して病院を再生してほしい」と要請がありました。私に白羽の矢が立ったため、「院長を担うからには既存の精神科病院にはしたくない」という強い思いで、90年1月に院長に就任しました。宮里病院は現在も精神科主体ではありますが、リハビリテーション科や内科、皮膚科も併設する「チャンプルー医療」というコンセプトで患者さんと向き合っています。

 武富 一方で1996年、リハビリ専門の「沖縄リハビリテーションセンター病院」を沖縄市比屋根(ひやごん)に開設されました。

 宮里 沖縄市比屋根は私が生まれ育った地区です。90年代、そこに総合病院建設の話が持ち上がっていました。しかし、県行政は、病床過剰地域であることを理由に計画にストップをかけていました。一方で、県の福祉計画には、総合リハビリセンターの建設計画が記されていることを知りました。

 そんな中、「県脳卒中等リハビリテーション推進協議会」の会長をされていた第8代琉球大学学長の故・高良鉄夫先生ご自身が脳卒中で倒れ、リハビリ生活を余儀なくされてしまったのです。

 高良先生は常々私にリハビリ専門病院の建設を促しておられました。高良先生の熱意に私も建設を決断、計画を練り直し、要請を続けました。最終的には県も、リハビリ病院として民間が進めるのなら応援しましょうということで、96年12月の開院につながったのです。

患者の声で異業種へ

沖縄タイムス社社長 武富和彦氏

 武富 なるほど。タピック創業から2007年までの18年間は医療一本だったようですね。ところで、08年になるとカルチャーセンター「ペアーレ沖縄」を事業継承し、初めて異業種に進出します。どういった背景があったのですか。

 宮里 典型的な高齢者うつ病だった女性患者Hさんを診察した経験が大きいですね。1カ月たっても薬が全然効かないのです。Hさんにいろいろ聞いたところ「自分が楽しみに通っているペアーレ沖縄が民間に売却される。民間ならおそらく閉鎖されるだろう。生きがいだったのに残念でならない」と嘆いたのです。そこで、施設に足を運んでみると、中高年者が生き生きと三線やジムなどを楽しむ姿に衝撃を受けました。

 私たち医者はどうしても患者を病気という視点だけで見てしまいがちです。しかし、人にはそれぞれ人生があります。うつや精神的に不安定になったりしたときには、その人なりの背景について十分に話を聞く重要性を痛感させられました。同時にこれからの医療は、そういう方面に目を向けたアプローチが大事になると思い知らされたのです。

 ペアーレ沖縄は全国のペアーレで一番経営状態が良好でしたが、沖縄市も民間移譲の方針を変えませんでした。そんな折、Hさんから「先生がやってくれないか」と言われたのです。医療と運動・文化の関係が重要であると再認識した直後だけに、事業継承を決断せざるを得ませんでした。

 武富 ペアーレ沖縄を継承したかと思うと、その翌年2009年には「ユインチホテル南城」を開業しホテル経営にも進出します。

 宮里 ペアーレ沖縄同様、国が当時の「厚生年金休暇センター」を売りに出したのです。南城市は継承を断念していました。そこで、ペアーレ沖縄の実績がある私に話が回ってきたのですが、私はペアーレ沖縄の経営に着手したばかりだったので当初は断りました。しかし、周囲が強く後押しするのです。なぜ、私だけ似たような選択を迫られるのかと悩みもしましたが、ユングの心理学でいう「シンクロニシティ」(意味のある偶然の一致)のようなものだと考え、気持ちを整理しました。

 世界的なコンサルティング会社にシミュレーションをさせたところ、経営権を取りに行った方がいいとアドバイスを受けました。医療ツーリズムがブームになりつつあったことも後押しし、事業を継承しました。おかげさまで昨年7月には新館アネックス・ビルもオープンさせることができました。今では南城市を「医療ツーリズム世界一の街」にしようと夢を描いています。

医・教「比屋根モデル」

タピックグループの主な歩み

 武富 事業家としての宮里さんの思想が、足し算からかけ算に変化されたようにも見えます。だからでしょうか、歩みは止まることなく2013年の「東南植物楽園」買収へとつながります。

 宮里 その東南植物楽園ですが、苦労したという点では、それまでの事例と次元が違いました。ペアーレ沖縄は当初から健全経営でしたし、利益効率が悪かったユインチホテル南城も増築後すぐに好転しました。

 ところが、民間経営が破綻し、すでに閉鎖されていた東南植物楽園は、すべての銀行が「経営が成り立たず再生は困難」と厳しい判断を示していたのです。一方で、同園は創業者が長年手作りで作り上げたもので、一切いじりたくないくらいの素晴らしい空間です。アフリカや中国で万能薬とされる「竜血樹(りゅうけつじゅ)」という樹木もあります。また、元女子マラソン五輪金メダリストの高橋尚子さんがご自身のSNSで同園の環境を高く評価するなど、培ったブランド力はしっかりと息づいていることも実感しました。

 しかし、いざ経営権継承を決断するときは、ものすごいプレッシャーに押しつぶされそうになりました。この事業はかなり危険だと感じたからです。心理的負担の表れなのか、ひげを生やしたのもその頃です。これが失敗したら、医療から個人として手を引く、という背水の陣の覚悟でした。結局は周囲の支援等もあって、銀行の融資もあり再開できたのです。

 今では、多くのお客さまにご来園いただき収入も増加しております。ヨナグニウマを使ったホースセラピーなども計画中です。

 武富 多角的経営が軌道に乗ったタピックですが、経営理念の根幹には医療がありますね。人の縁、土地の縁があり、それが多様な事業の相乗効果を生んでいるようです。さて、今年4月には沖縄市比屋根に市内初となる幼保連携型認定こども園「おきなわ地球こども園」をオープンされました。子育て世代応援、人材育成という観点なのですか。

 宮里 その通りです。待機児童数が多いという沖縄市の課題解決に貢献すべく、市の理解も得て社会福祉法人を設立し大型のこども園を造ったのです。ここでは発達障がいを持つお子さんも受け入れるなど「こどもの発達障がい」対策にも着手します。ただし、発達障がいに取り組むためには医療だけで軌道に乗ることは難しく、教育とのつながりが重要です。比屋根には10年前に小学校ができました。同地区にある沖縄リハビリテーションセンター病院など医療と教育、地域住民、行政との連携による社会全体でこどもの健やかな成長を支援する「比屋根モデル」をつくりたいと思います。新しい分野のポテンシャルに医者魂を燃やしています。

対談は中城湾の絶景を望む応接室で行われた=沖縄市の沖縄リハビリテーションセンター病院

“2つのR”社会貢献

 武富 次はどういう展開を描いているか興味が湧きます。現在描いている将来計画をお聞かせ下さい。

 宮里 3つの方向性を考えています。

 1つ目は「病気になりにくい人間づくり」です。病気など大きな挫折を味わう経験は誰にでもあります。そんな危機的状態からしなやかに回復する力、これを「レジリエンス」といいますが、このレジリエンスとリハビリテーションを2本柱にした新しい医療の仕組みをつくりたいと思っています。

 2つ目は「C(コンパクト)CCRC」を造りたいと考えています。CCRCとは、生涯学習や地域貢献しながら暮らせる元気シニア中心の生活共同体を意味します。タピックでは、それをコンパクトなビルに集約するという意味でCをもう一つ加え「CCCRC」と呼んでいます。できれば高層ビルを建てたいですね。「CCCRC」がうまくいけば、そのモデルを持って中国などアジアに進出するという計画も立てています。

 3つ目はスポーツの活用です。レジリエンスを育てるヒントはスポーツにあると考えています。勝利という目標を掲げ、「本気」でそれに向けて練習するスポーツという方法論を、教育にも地域づくり(地域スポーツ)にも生かしていく。負ける、挫折する体験からたくましさであるレジリエンスをつけてほしいのです。もちろん、相手、ルール、審判を「尊重」する心、つまりスポーツマンシップを育てます。それは人生を豊かにする上でも、社会で働き生き抜く上でも必要な基礎力になるのではないでしょうか。一方で、スポーツは単なる遊び、楽しみでもあるという「楽」な心を忘れないようにします。楽しみが乏しいのが「生涯スポーツ」の広がりを阻んでいる気がします。「本気・尊重・楽」の精神の統合です。スポーツは、文化・芸術と並び、人を創り、社会を動かし、多様な人々と尊重し合う平和の基盤になる機能があると考えているのです。

 しかし、レジリエンス(Resilience)を持っていても、人はケガをし病気をすることがあります。そのときは、早く立ち直ってもらえるようにサポートする社会的なシステム、つまりリハビリテーション(Rehabilitation)も必要です。2つのRを基軸にタピックは社会の課題解決に貢献したいのです。

 武富 医療をベースに、変化しながら成長し続けるタピックグループに今後も注目しています。今日はありがとうございました。

 宮里 ありがとうございました。

沖縄の明るい未来づくりへ向け握手を交わす宮里好一氏と武富和彦氏
 みやざと・よしかず 1954年生まれ、沖縄市出身。79年岡山大学医学部卒業。85年琉球大学医学部付属病院講師、総医局長を経て、89年タピックを創業。現在に至る。ほかに沖縄回復期リハビリテーション病棟協会会長、日本リハビリテーション病院・施設協会理事などを兼ねる。
 たけとみ・かずひこ 1961年生まれ、那覇市出身。84年琉球大学卒業後、沖縄タイムス社に入社。社会部長、政経部長、中部支社長、編集局長、常務取締役などを経て、2018年6月から現職。