1944年8月22日に、沖縄から疎開する児童らを乗せた「対馬丸」が米軍の攻撃を受けて沈没して74年となる22日、那覇市の小桜の塔前で慰霊祭があった。生存者や遺族らは、亡くなった子どもたちの記憶を胸に、鎮魂の思いと平和への願いをささげた。氏名が分かった犠牲者数は2人増え、1484人となった。

対馬丸慰霊祭で犠牲者に焼香する参列者=22日午前、那覇市・小桜の塔(国吉聡志撮影)

 慰霊祭には約400人が参列した。対馬丸記念会の高良政勝理事長は「世界から報復の連鎖が断ち切られることを切に願い、犠牲者の安らかなご冥福を祈る」と追悼の言葉を述べた。

 犠牲になった子らが通っていた市内8校の校歌を再現したCDが7月、対馬丸記念館に寄贈され、この日はそのうち天妃国民学校(現・天妃小)の校歌をつしま丸児童合唱団が歌った。

 漂流した末、鹿児島県・奄美大島で救助された生存者、上原清さん(84)=うるま市=も参列し、「安らかに眠ってほしい」と願った。今年1月、垣花国民学校(現・垣花小)の同級生らが集まる85歳のトゥシビー祝いに参加した上原さん。余興などを楽しんだが、同じ年になっていたはずの亡くなった同級生らのことを思い浮かべ「生きていたら一緒にお祝いできたのに」と話していた。

 那覇市の又吉治子さん(90)は手を合わせながら、「来たよ。私も90歳になったよ」と国民学校5年で亡くなった弟を思った。明るい子で、対馬丸に乗る時も、喜んで出掛けていったという。弟の返事はない。それでも、「元気な間は必ず来るからね」と伝えた。