真喜屋みち代さん(57)=本部町出身

 各国の国益やさまざまな利害関係が絡み合う国際会議は、通訳者なしには成り立たない。その道に飛び込んで35年。これまで、竹下登さんや橋本龍太郎さんら歴代の首相、世界に名だたる企業トップの通訳を務めてきた。磨き上げた腕一つで国内外を渡り歩く。

「普段見られない世界を見ることができる」と通訳の魅力を語る真喜屋みち代さん=東京都内

 「将来国際化が進む。英語という武器を持て」。常々こう諭した父優さんの教育方針で、宜野湾市にあった「クライスト・ザ・キングインターナショナルスクール」で学んだ。大学は米国のオハイオ州立大へ。そこで、職業選択を決定づける場面に出会う。

 大学3年の秋、ホンダ創業者の本田宗一郎さんが来校し、空港へ迎えに行った。飛行機のタラップから降りた本田さんが簡単なスピーチをすると、傍らの通訳が滑らかに訳す。「なんてすてきな職業なんだろう」。20歳の学生の目には輝いて見えた。当時専攻は化学だったが、日本に戻ったら通訳になると決意する。

 帰国後、英会話教室の講師をしながら、通訳養成学校に通い、夢をかなえる。通訳という仕事は、高い英語力と同時に、日本語力や幅広い知識が不可欠。日本の学校で習った経験がないことに内心、コンプレックスを抱えていた。

 働きながら日本の小中高の教科書を独学で勉強し、獨協(どっきょう)大大学院の言語学科を受験。合格すると俳優高倉健さんが祝ってくれた。

 沖縄初のプロボクサーの優さんは、実業家としても交友関係が広く、石原裕次郎さんや森繁久弥さんらが自宅に泊まった。高倉さんは特に親しく、大学院合格の時は東京・新高輪プリンスホテルのレストランを貸し切り、父と3人で食事。裏に「真喜屋みち代へ」と彫られた時計をもらった。

 今でこそ通訳者約70人が登録する派遣会社を経営しているが、駆け出しの20代の頃は、聞きながら話す同時通訳は「自分には絶対に無理」と思っていた。

 秘訣(ひけつ)は何か。「通訳は技術。要は訓練です。最初は自分の声がうるさくて集中できないが、訓練で上達する」。今では単純な会話なら、同時通訳しながら、関係のないメールを打てる。「人間の能力はすごいですね」と笑う。

 守秘義務が課せられる通訳は、AI(人工知能)の開発など刻々と変化する機微な情報に触れる。新車開発の話が数年後、新聞に載ることも珍しくない。「簡単な作業はロボットがやる時代。いかに人間らしい技術を身に付け、人と違うユニークな発想ができるか」。最先端の世界に接する機会の多い職種ならではの見識で未来を見通した。(東京報道部・西江昭吾)=連載・アクロス沖縄<93>

 まきや・みちよ 1961年、本部町出身。宜野湾市のキングスクールで学び、オハイオ州立大卒業。85年、総務庁(当時)の青年海外派遣団員としてトルコに派遣されたことを契機に、官公庁の通訳を依頼されるようになった。2005年に有限会社「ミック・インターナショナル」を設立。会議や商談などさまざまな同時・逐次通訳を務める。