北中城村の東部海岸沿いに位置する和仁屋区の歴史は17世紀頃の中城間切にさかのぼる。豊富な水源を持ち、サトウキビやゴボウなどの栽培で有名だ。南側に隣接するのは同じく農業で栄えた熱田区。その境目は自動車も通れないほどの細い道だ。だが、2地域は言葉も気質も全く異なり、昔から対抗意識があった。和仁屋区自治会長の比嘉勲さん(73)は「こんなに近いのに言葉が違うのが昔から不思議だった」と話す。(中部報道部、宮城一彰)

地図を広げながら和仁屋の言葉について話す比嘉勲さん=5日、北中城村の和仁屋公民館

和仁屋(右側)と熱田の境界となる路地。車が通り抜けられないほどの細い道だ=5日、北中城村

地図を広げながら和仁屋の言葉について話す比嘉勲さん=5日、北中城村の和仁屋公民館
和仁屋(右側)と熱田の境界となる路地。車が通り抜けられないほどの細い道だ=5日、北中城村

 比嘉さんは、戦後同村島袋付近の収容所で生まれて以来、和仁屋で育った。学校に通うには隣の熱田区を通らなくてはならなかったため、熱田の子どもたちとの交流も盛んだった。

 しかしその言葉に微妙な差異があった。井戸から水をくみ上げる「つるべ」のことを比嘉さんらは「チー」と呼んでいたが、熱田の子どもたちは「ボロチャイ」と呼んでいた。また「ダキノーソージュー」と呼んでいたトカゲのことを熱田では「マースナメー」と呼んでいるなど、細かい部分で違いがあった。

 比嘉さんは、調べてみたが語源はわからなかった。「隣合う和仁屋と熱田の言葉に違いがあるのは、先人たちが言葉を大切にしていたからではないか」と話す。さらに、「それとも和仁屋と熱田は昔から仲が悪いと言われていたから、意固地になって同じ言葉は使わなかったのかな」と頭をひねる。

 熱田区の老人クラブ会員によれば、つるべを「ボロチャイ」と呼ぶのは、つるべを落とす時の『ボロン』『チョロン』という音を表しているという説があるという。他にも「ホラガイのことを『ボラチー』と言う地域もあるそうだ。それがなまって『ボロチャイ』になったんじゃないか。きっと昔はホラガイで水をくんでいたんだよ」と独自説を唱える人も。

 また「マースナメー」については「子どもたちがトカゲにいたずらで塩をなめさせていたからじゃないか」という意見が多かった。いずれにしても熱田独特の言葉の由来は、はっきり分からなかった。

 同クラブの喜納宏会長(73)によると、和仁屋はゴボウを売り歩く女性に「ワナグンボー(和仁屋ゴボウ)」とあだ名がつくくらい働き者で知られた。そんな和仁屋の人たちを「ヒンガーワナポー(色黒の和仁屋の人)」などと呼んだりもしたという。「今でこそ開発が進んで両区は隣同士だけど、昔は集落が離れていて、人の交流も少なかったそうだから、言葉も違うしお互い相手に負けたくないと意地を張っていたのだろう」と言う。

 しかし喜納さんは「でも今では仲良しだよ。仲が悪かったなんて大昔の話さ」と笑う。一方の比嘉さんも「子どもの頃は熱田の子に意地悪されたこともあったけど、今思うと子ども同士の無邪気なケンカだよ」と意に介さない様子。どうやら「仲が悪かった」のは過去の話のようだ。

 比嘉さんは仕事で南米に行った時に熱田の言葉を使う県系人に会いとても懐かしい気持ちになったことがある。「言葉の中には沖縄の文化が残っているだけでなく、思い出や感情が残っているんだね」と話し、これからも言葉の勉強を続けたいと目を輝かせた。