年忌と呼ぶ周期で4年ぶりとなる沖縄県八重瀬町志多伯の7年忌豊年祭(24、25日)の舞台で250年以上前のものという三線が修復され、久々に音色が響く。集落の神谷門中に伝わる品で地謡を務める琉球古典音楽野村流保存会の師範、神谷清一さん(63)が奏でる。がんから回復し、元気に弾ける喜びと感謝を込めて集落の繁栄を祈る。(南部報道部・堀川幸太郎)

神谷門中に約250年伝わるという三線を弾く神谷清一さん。がんから回復し、芸の道を歩める感謝を豊年祭に込める=21日、八重瀬町志多伯

 神谷門中の宗家の門構えは琉球王府の三司官、蔡温(1682~1761年)の設計と伝わる。志多伯地頭を務めた父、蔡鐸(1644~1724年)は神谷門中から妻の1人を迎えたとされ、今回の三線も2人と縁のある可能性がある。沖縄戦では神谷清一さんの祖父で歌声が数キロ先に届いた逸話が残る名手、清正さん(1891~1969年)が壕に隠し、難を逃れた。

 清一さんによると音が重厚で古典向き。沖縄戦以前に制作された古三線の県内612丁の調査に携わった県立博物館・美術館の園原謙・博物館班長は写真から、棹(さお)の曲線の付き方で真壁型とみる。修復前後の状況が不明で制作年代は分からないという。

 家宝として扱われる三線は公的な調査でも見せたがらない人もいる。一方で弾き手がいないと人に貸して行方知れずになるケースも。園原班長は「郷里を思い、代々の弾き手が戦禍も越えて伝えたという話から、とても沖縄らしい三線」と今回の品を語る。

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 三線は神谷門中の宗家の結婚や出産、豊年祭など儀礼的な場でだけ響いた。稽古でも使わなかった。清一さんの祖父、清正さんの没後は傷みもあって約50年、保管箱で眠っていた。大切な品だけに簡単に直せなかった。

 大学2年で人間国宝・城間徳太郎さんに師事した清一さんが修復を決めたのは、2015年に多発性骨髄腫というがんを患ったからだ。約30年勤めた障がい者施設の支援員を辞め、1年にわたる入院を経て回復した。今は再び三線教室で子どもたちに教える。先人がいたからこそ歩み、復帰できた芸の道。集落総出の豊年祭に感謝の念を込めたいと今春、修理に出した。

 豊年祭実行委員会の副委員長でもある清一さん。「絆を結ぶ豊年祭。皆で盛り上げたい」と語った。24日は午後2時から志多伯集落を巡る道ズネー、午後6時から馬場で舞台がある。25日まで。