2年前の慰霊の日、ハワイから一通のメールが届いた。「やんばるに 飢えて乳干す母親の 亡(ゆ)きにし従弟哀れ想(み)ゆらむ」。沖縄戦末期にさまよった本島北部で亡くなった1歳のいとこを想う短歌である

▼送り主は読谷村渡具知出身の仲宗根シゲ子さん(85)。戦後ハワイに渡って60年以上たつが何もしてあげられなかった無力感に今なおさいなまれていた。丸々と太ったかわいらしい顔と、泣き声も出せぬほど衰弱した最期が交錯し、よく夢に現れるという

▼避難は1945年3月末から2~3カ月に及んだ。当時12歳。2世帯12人で道なき道をあてどなく進んだ。米兵の銃弾が耳をかすめたこともあった。食料はない。飢えて力尽きる人など多くの遺体が横たわる光景が脳裏に焼き付く

▼異国から本紙インターネット版を隅々まで読むのが日課だ。東村高江のヘリパッド建設のニュースに「胸をえぐりとられる苦しみ」を感じた。遺骨の上を重機が敷きならしていないか、と

▼1歳上のいとこも失った。やんばるで慰霊の法要ができないかと願う。里帰りした今月、記憶を頼りに東村などを回り、その一歩を踏み出した

▼年を重ねるごとに郷愁と戦争体験を継承する決意がこみあげる。1年先か2年先かは分からない。慰霊が実現できるよう記者として一人の人間としてかかわりたい。(溝井洋輔)