『あなた』は、川端康成文学賞を受賞した『レールの向こう』に続き、「私小説」を収蔵した話題の作品集。

大城立裕著「あなた」 新潮社・1890円

 「あとがき」では、〈私小説とは縁のない小説ばかりを書いてきたが、「レールの向こう」(前著表題作)から「あなた」まで、妻のことを一気に書いたという思いがある〉と述べている。作者は、分身のように寄り添ってくれた妻を「あなた」と呼び、「お位牌になったあなたに問うてみたい」と夫婦の来し方を振り返る。それを「フィクション」とはせずに「私小説」としたのは、興味深い。

 「私小説」は、「作者=私=登場人物」の視点を鉄則とするので、「他者」を描くには適さない。「他者」とは、「私」の認識が届かない存在であり、「私」の十全な自己同一性をかく乱する想定外の異質性である。「他者」とのつながりを希求しても、「私小説」の肥大した自我の触手は空を切るばかり。自我を了(しま)い謎をのこして逝ってしまった「あなた」とつながることのできるジャンルではない。それを承知で作者は、閉じるはずのない円環を、出会うはずのない妻の自我との遭遇をむなしく手探りする。

 芥川賞を受賞し、歴史小説や新作組踊を書き続け、琉歌集『命凌(ぬちしぬ)じ坂(びら)』を上梓(じょうし)して、ひたすら「沖縄文学」の領野を開き続けた90代の作家が、あらかじめ失われた妻を描くために、「私小説」というジャンルを手繰り寄せた。

 かくして「あなた」を書くはずの私小説は、案の定、沖縄の歴史の前線に立ち続けてきた「私」が中心になり、「あなた」は脇へ退く。しかも「私」の問に応える「あなた」はもういない。認知症のまま逝くことで、「あなた」は二重に「他者」となってしまった。妻を恋うた果てにたどり着いたのは、「妻の他者性への気づき」だった。

 それにしても、夫の耳に残る「わたし、一所懸命やるわ」という妻の決意は、自我をむき出して抱き合うことが愛とは信じず、無言のまま自我の棘(とげ)を収めて夫に応えるこの世代の常のような気がして、読者の胸を突く。(勝方=稲福恵子・早稲田大学名誉教授)

 おおしろ・たつひろ 1925年中城村生まれ。琉球政府通商課長、県立博物館長などを経て86年に定年退職。67年「カクテル・パーティー」で沖縄初の芥川賞。沖縄の歴史と文化を主題とした小説や戯曲、エッセイを書き続ける。

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