シンガー・ソングライター 吉成ゆいさん(36)=那覇市出身

 その声は、ファンから「無性に聴きたくなるクリスタルボイス」と呼ばれる。聴く者を包み込むような透き通る歌声は、沖縄のライブハウスでの下積み時代に磨かれたもの。プロのドラマーとしての感性が彩りを添える。24日にメジャーデビューする新進気鋭のアーティストは、さまざまな縁に導かれるように新たなスタート地点に立つ。

「沖縄があるから本土で頑張れる」と話す吉成ゆいさん=東京都内

 人前で拍手を浴びた最初の記憶は幼稚園の頃。国の重要無形文化財「組踊」保持者の故平田行正さんの琉舞道場に通い、定期的な発表会で舞台に上った。「ここが私の居場所かも」。あの心地よさを今でも覚えている。

 15歳の頃、彗星(すいせい)の如く登場した歌手・宇多田ヒカルさんに憧れ、同じ道を目指すと心に決める。高校に進んだものの「私は音楽で食べていく」と1年生の冬に自主退学。辞めたはいいが、どう夢を手繰り寄せていけばいいのか分からない。そんな時に求人誌で見つけたのが、那覇市のライブハウス「アパッチ」の演奏者募集の広告だった。

 〈オールディーズ好きの人求む〉。全くの門外漢だったが、捨て身の覚悟でオーディションに臨んだ。「何か楽器できる?」。思わず「ドラムができます」と答えた。実際は触ったこともない。「8ビートでたたいてみて」。意味が分からなかったが、小学・中学の部活で培ったパーカッションの要領で、見よう見まねでたたいた。結果は合格。1週間でベンチャーズの2、3曲を覚え、週6日でステージに立った。

 7年続く中、ボーカルとして歌うようになる。来店したオリオンビール幹部に見いだされ、CMに起用されたのは20歳。颯爽(さっそう)とドラムを演奏する姿が反響を呼び、県出身バンド・BEGINのメンバーも見に訪れた。それが縁で、ヒット曲「オジー自慢のオリオンビール」の収録に誘われ、ドラマーとして加わった。

 「アパッチがあって今の私がある」。さまざまな人と出会い、活動の幅を広げる結節点となった店に感謝する。アパッチ卒業後は、米ニューヨークに単身渡り、R&Bの本場で音楽留学を経験。日本でも路上ライブで生計を立てながら、曲作りを地道に続けてきた。

 15歳で思い描いた夢の舞台にたどり着いた今。「先が見えない手探りの中、自分の信じる道を進んできて良かった。夢はかなうんだ、と思える」。目標は県出身歌手の夏川りみさん。「夏川さんのように息の長いアーティストになりたい」。次なるステージがさらなる飛躍を待っている。(東京報道部・西江昭吾)=連載・アクロス沖縄<96>

 【プロフィール】よしなり・ゆい 1982年、那覇市生まれ。金城中のマーチングバンド部で全国制覇を経験。24日にコロムビア・レコードからメジャーアルバムが発売される。BEGINの島袋優さんがプロデュースした「大好きな人」も収録。今年6月までは「結-YUI-」の名で活動していたが、千葉県在住の作家・吉成庸子さんから名字をもらい、今の名前で再出発した。