30年前に送った一通の手紙が元となった交流が続いている。手紙を送ったのは沖縄市高原の「アワセそば」を創業した武原初子さん(77)。受け取り主は当時、豊見城高校のバレー部に所属していた部員たちだ。4年前の再会をきっかけに定期的に懇親を深めている。大腸がんを患い療養生活を続けている武原さんは「交流は心の処方箋」と語り、大人になった部員たちとの交流を励みにしている。(中部報道部・比嘉太一)

かつての豊見城高校バレー部員との交流を喜ぶ武原初子さん(前列右から2人目)=9月15日、沖縄市内

武原初子さんが30年前に豊見城高校の生徒たちに送った手紙。当時の校長がお礼のコメントを添えて武原さんに返信した

かつての豊見城高校バレー部員との交流を喜ぶ武原初子さん(前列右から2人目)=9月15日、沖縄市内 武原初子さんが30年前に豊見城高校の生徒たちに送った手紙。当時の校長がお礼のコメントを添えて武原さんに返信した

 武原さんと部員たちとの出会いは1988年10月。当時、沖縄市内の高校で開かれていた大会に出場した部員が、たまたま帰りに立ち寄ったのがアワセそばだった。

 「大勢の部員を引き連れて迷惑になるかもしれないですが、いいですか」。店に入ってくると遠慮がちにそう告げた部員たちの礼儀正しい姿に、武原さんは驚いた。食事の後も食器の片付けを手伝ったり「家族にもそばを食べさせたい」と麺を購入したりする部員たちの姿に「感心した」と武原さん。翌日、部員の出身校である豊見城高校にお礼の手紙を書いた。

 「家庭と仕事と両立するためにはいろいろ無理もあり、何度か店を辞めようかと考えましたが、今回のさわやかな場面に出くわして、店を続けてきて良かった」とつづり、「21世紀の社会をリードするよう頑張って」とエールを送った。

 そんな武原さんが、当時同部の主将だった大嶺盛男さん(47)と偶然再会したのは4年前。再会に2人は抱き合って喜んだ。大嶺さんは「他の部員たちにも会ってほしい」と、元部員が毎月開いている模合へ武原さんを誘ったが、直後、武原さんに大腸がんが発覚し参加はかなわなかった。

 抗がん剤治療などで一時入院した武原さんは2年前から、病院で検査を受けながら自宅で療養生活を送っている。武原さんの退院を知った元部員たちは、毎月豊見城で開催する模合のうち年2回を武原さんのために沖縄市で開催するようになった。

 大嶺さんは「僕たちが成長して、今は仕事の話を武原さんから聞ける。武原さんとの交流は誇り」と目を細める。今は店を引退した武原さん。「生きていると幸せなことがたくさんある。部員たちとの出会いと再会もそう。この縁をずっと大切にしたい」と語った。