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【写真で振り返る】FC琉球の15年

2018年11月2日 20:51

  FC琉球が今、J2への扉を開こうとしている。

 2003年の発足から15年。途中幾多の苦難に直面したが、そのたびに乗り越えてきた。クラブの歩んだ歴史を、写真とともに振り返る。

【2002年12月】かりゆしFCからの一斉離脱

 12月1日に開催されたサッカー天皇杯1回戦終了後、沖縄かりゆしFCの選手が急きょ会見を行い、この試合を最後に、選手19人、スタッフ1人が退団すると発表した。この時の離脱メンバーが中心となり、FC琉球が生まれた。

 契約書が存在しない雇用形態、チーム外の人間の大会での選手登録、選手たちに信頼の厚いラモス瑠偉テクニカルディレクターの突然の解任など、これまでのチーム運営の問題点を挙げ「監督には、方針に従わないとクビだと言われた。怒りを通り越し悔しさを感じた」と選手らは憤りをあらわにした。

写真を拡大 試合終了後、緊急に会見を行う沖縄かりゆしFCの選手たち=2002年12月1日、沖縄県総合運動公園

【2003年2月】FC琉球、正式発足

 沖縄かりゆしFCを一斉退団した選手らでつくる新チーム「FC琉球」が正式に発足した。Jリーグ昇格を目指し、初年度となる今季は県3部リーグに参戦する。

 本来、新チーム結成後は約1年間の準備期間と活動実績が必要だが、県サッカー協会の配慮もあって県3部リーグから参加することになった。

【2003年6月】県社会人サッカー選手権で優勝 球団初のタイトル

 6月29日の決勝で海邦銀行SCと対戦したFC琉球。比嘉リカルドのゴールで先制したものの1―1と追いつかれ、同点で折り返した。後半に入り高地系治の勝ち越しシュートなどで点差を広げ、海銀SCを振り切った。

写真を拡大 県社会人サッカー選手権決勝・FC琉球―海邦銀行SC 後半、FC琉球は高地系治がゴール左側から逆転のシュートを決める=2003年6月29日、沖縄県総合運動公園陸上競技場

【2003年8月】かりゆしと初対戦 タイムス杯準決勝

 沖縄かりゆしFCと初の直接対決となったのは、8月10日。タイムス杯サッカー(天皇杯沖縄県予戦)準決勝。前半20分に琉球のFW関貴史がFKのこぼれ球をけり込んで先制。しかし、かりゆしは前半ロスタイムにエドアルド・ルイコスタが押し込んで同点。延長後半、かりゆしFW松原良香がVゴール。勝利はならなかった。

写真を拡大 タイムス杯サッカー準決勝・かりゆしFC―FC琉球 後半9分、かりゆしFCの酒井良(左上)が右サイドからシュートを放つが惜しくもはずれる=2003年8月10日、北谷陸上競技場

【2004年2月】県系2世・与那城ジョージ監督就任

 ブラジル出身の県系2世、与那城ジョージ氏が監督に就任。

 就任会見では「つなぐサッカーを目指したい。土台を築いた後に必要な戦力の新加入もあるだろうが、土台づくりは急がず、じっくりと、今いる選手の完成度を高めたい」と、チームを手堅くまとめていくことを強調した。

写真を拡大 就任会見で意欲を語る与那城ジョージ新監督=2004年2月16日、那覇市・パシフィックホテル沖縄

【2004年4月】藤吉信次が入団

 元五輪代表で、ヴェルディ川崎(現東京V)、京都サンガなどで活躍したFW藤吉信次が加入。以前から親交のあった与那城ジョージ監督の誘いで今回の入団が決まった。

 ピッチ上のプレーだけでなく、ひょうきんな性格とパフォーマンスでサポーターの心をつかんだ、琉球の黎明期を代表する選手のひとり。06年シーズンまで在籍した。

写真を拡大 記者会見で藤吉(右)は与那城監督(左)と握手。「さらに上を目指してやっていく」と抱負を述べた=2004年4月22日

【2004年8月】かりゆしFCに勝利

 8月29日のタイムス杯(天皇杯県予戦)準決勝で沖縄かりゆしFCと対戦。前半39分、FWの宮城哲朗が頭で合わせ、決勝点を決めた。主将の望月隆司は「かりゆしは大きな壁だった。天皇杯はチームの目標。ぜひ出場権を勝ち取って、九州リーグ、JFL入りへのきっかけにしたい」と夢を語った。

 9月12日の決勝では海邦銀行SCを2―0で下し初優勝、天皇杯本戦初出場を決めた。

写真を拡大 タイムス杯準決勝・FC琉球―沖縄かりゆしFC 決勝点を決めたFC琉球の宮城哲朗。後半も積極的にゴールを狙う=2004年8月29日、北谷公園陸上競技場

【2005年4月】九州リーグ参入

 2003年の創立時に沖縄県リーグ3部でスタートした琉球は、04年は飛び級で県リーグ1部へ昇格、05年は九州リーグへと活躍の舞台を移した。

写真を拡大 九州リーグ第3節 FC琉球−V・ファーレン長崎 前半22分、フリーキックを決め、FC琉球イレブンから祝福を受ける比嘉リカルド(中央)=2005年4月24日、北谷公園陸上競技場

【2005年6月】永井秀樹が加入

 ヴェルディ川崎(現・東京V)などで活躍したMF永井秀樹が加入。入団会見で「沖縄のファンに喜んでもらえるようないいサッカーを見せたい」と活躍を誓った。06年に古巣の東京Vへ移籍したが、08年に復帰、13年まで活躍した。

写真を拡大 FC琉球のユニホームを身にまとった永井(左)。与那城監督と握手で活躍を誓った=2005年6月13日、那覇市天久・FC琉球コミュニティプラザ

【2005年12月】アマ最高峰リーグ・JFL昇格

 九州リーグを2位で終え、全国地域リーグ決勝大会に駒を進めた琉球は、同大会で初優勝。国内アマチュアの最高峰リーグであるJFLへの昇格を決めた。

写真を拡大 沖縄初のJFL参入を成し遂げたFC琉球。全国地域リーグ決勝大会優勝でJFL昇格を決めた=2005年12月4日、岡山県陸上競技場

【2006年シーズン】JFL初年度は14位

 全国リーグのJFLへと舞台を移した琉球だったが、全国の壁に苦しんだ。初勝利は第9節まで待つこととなった。シーズン成績は6勝11分け17敗(勝ち点29)で順位は18チーム中14位。与那城ジョージ監督はこのシーズン限りで退任した。

写真を拡大 JFL第9節 FC琉球―流通経済大 後半8分、CKを頭で押し込み、ハットトリックを決めて喜ぶ黒田福太郎。琉球はこの試合に3-0で勝利、JFL初白星を挙げた=2006年5月7日、北谷公園陸上競技場

 一方、ホームゲーム17試合で合計5万4213人の観客動員や琉球BOMBERZ(ボンバーズ)のチアダンスによる盛り上げなどが評価され、ベストサポーター賞を受賞した。

【2007年3月】ハンドボールチーム創設

 サッカー以外の競技も含めた総合クラブを目指していた琉球は、ハンドボールチームの創設へ向け06年からトライアウトを実施、07年に正式発足した。ゼネラルマネジャー(GM)兼選手として元日本代表の田場裕也を招いた。

 その後ハンドボールチームは独立、琉球コラソンとして活動している。

写真を拡大 正式に発足したFC琉球の男子ハンドボールチーム。前列中央は田場裕也GM=2007年3月6日、那覇市・ロワジールホテルオキナワ

【2007年シーズン】降格の危機

 後期第3節でTDK(現・ブラウブリッツ秋田)に0-8の大敗を喫するなど、未熟な連携で苦戦したシーズン。途中様々な補強を図ったものの、浮上できなかった。

 7勝6分け21敗(勝ち点27)、得失点差マイナス44で18チーム中17位。九州リーグに降格してもおかしくない順位だったが、上位のJ2昇格や合併によって降格を免れた。

写真を拡大 JFL後期第3節 FC琉球―TDK 前半に大量6点を奪われ、肩を落とすFC琉球イレブン=2007年7月16日、県総合運動公園陸上競技場

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