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選手が離島で出稼ぎも… FC琉球、苦労重ねた15年 ラモス氏が発足の後押し

2018年11月4日 11:07

 創設から15年の節目にFC琉球が悲願のJ3優勝とJ2昇格を果たした。明治安田生命J3リーグの2018年シーズンで、中盤戦から首位を独走。残り3試合を残し、昇格条件の2位以内を確定させた。就任3年目の金鍾成監督の指揮の下、リスク覚悟で攻めまくる怒濤(どとう)の「超攻撃サッカー」で一気に駆け上がった。来季からはよりハイレベルな「J2」での戦いが待っている。サポーターやファンら沖縄県民の「誇り」となり、さらに地域に根差したクラブを目指して、新たな挑戦が始まる。(運動部・新垣亮)

FC琉球-ギラヴァンツ北九州 後半、ドリブルで突破するFC琉球のMF中川風希=タピック県総ひやごんスタジアム

ラモス氏の後押し

 2003年に産声を上げたFC琉球。九州リーグの沖縄かりゆしFCの元メンバーでつくり、同クラブの元テクニカルディレクターだったラモス瑠偉氏が発足の後押しをした。

 同年2月に正式発足し、県リーグ3部からの船出だった。Tシャツにチーム名をプリントしたユニホームを着用し、選手たちが活動資金を捻出するために南大東島で土木作業に従事するなどした苦労話は、今でも草創期を知る人たちの語り草だ。

声援を味方にJFL

 04年には元日本代表で県系2世の与那城ジョージ氏が監督に就任。県協会の推薦で飛び級で挑んだ県リーグ1部を制覇。05年に九州リーグに戦いの場を移すと、ホーム開幕戦で3千人を超えるサポーターやファンが駆け付けて盛り上がった。

 ホームゲームの5試合で観衆は平均4千人超え。同年、声援も味方に全国地域リーグ決勝大会で優勝し、アマチュア最高峰の日本フットボールリーグ(JFL)への昇格を決めた。

トルシエ氏を招く

 JFL昇格まで順風満帆に見えたが、JFLでは厳しい戦いが続いた。08年には元日本代表監督のトルシエ氏を招いたり、11年には元日本代表で県出身FW我那覇和樹の加入などが話題をさらったが、JFL時代の8シーズンで最高位は11、12年の9位にとどまった。 

 Jリーグへの扉が開いたのは13年。リーグ入りの最初の関門「リーグ準加盟」がJ2規格のスタジアム整備、財務体質の改善などをクリアしたことで、3度目の挑戦で承認された。14年のJ3元年は薩川了洋監督の指揮の下、12チーム中の9位。15年も9位。なかなかJ3の優勝争いには絡めなかった。

新たな歴史刻む

 16年から金鍾成監督が指揮を執り、同年は8位。J2ライセンスを取得した17年は6位と着実に順位を上げて、18年、ついにJ2昇格という大輪の花を咲かせた。

 13年のJ3参入は制度改革の追い風に乗ってたどり着いた。しかしJ3優勝、J2は文句なしの強さで勝ち取ったものだ。誇れる新たな歴史が刻まれた。

 

倉林社長「多くの方の支えに感謝」

◆倉林啓士郎社長インタビュー

FC琉球の倉林社長

 運営会社琉球フットボールクラブの倉林啓士郎社長に、J2昇格を果たしたクラブの将来像と展望を聞いた。

 -社長就任2シーズン目でJ2昇格を達成した。

 「多くの方々の支えに感謝している。選手や監督はすごく喜んでいる。しかし、フロントとしてはここからが本番だと気を引き締めている。スタッフは一つ目線を上げて、意識も変えないといけない」

 -具体的には。

 「これからは沖縄唯一のJクラブとして存続する、つぶさないといった目線ではなく、スタッフもプロ意識を持って国内のリーグに参加している意識を持たないと。当たり前だが広告収入や入場料収入の目標も上がる。稼げるようにしないとチームも支えられない。グッズ販売のほかにもファンクラブのサービス、育成・普及の面など課題は山積みだ」

 -就任前から財政的な問題が指摘されてきたが。

 「以前は大きな赤字を抱えていた。楽な状況ではないが、赤字幅は減ってきた。昔のように全然立ちゆかない状況ではなく、良い人材の確保やアカデミーなど育成への投資もできている。黒字化も見えてきた」

 -理想とするクラブの将来像は。

 「県民に支えられ誇りに思えるようなクラブにすることが一番重要なベース。サッカーやスポーツを通じて県の経済や産業振興にも貢献できると思っている。最近では香港や台湾からの関心もあり、国際交流にもつながっていくはずだ」

試合前に選手を鼓舞するために歌われる「琉球愛歌」替え歌チャント

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