「心から祝福」「さらなる飛躍を」-。15年を経てFC琉球が成し遂げたJ3制覇とJ2昇格。歴代監督や元選手、クラブ運営に関わった関係者らが喜びの声を寄せた。
設立に尽力した野口必勝さんは「創設時からのベンガラのユニホームがJリーグのピッチで躍動する日を願い続けていた。たすきをつないで存続してきた奇跡のクラブ」と喜んだ。
立ち上げ時のメンバーで、元主将の望月隆司さんは「アルバイトを掛け持ちして、やっと生活できる時代もあったがスタッフ、サポーター、地域の人たちの熱意があったからこそ乗り越えられた」と感慨深げだった。
初代選手兼監督の新里裕之さん(現栃木SC強化部長)は「県民の応援が、いつしかクラブの力になったのでは」と分析。来季は同じJ2で顔を合わせる。「サッカーファミリーの一員として共にJ2を盛り上げたい」とコメントした。
県リーグから日本フットボール(JFL)にチームを引き上げた与那城ジョージさん(現J.FC MIYAZAKI監督)は「チームができて15年、J2に上がれるのは素晴らしい」とたたえる。「琉球のスタイルが確立できたからこそ結果につながったと思う。J2でも続けてほしい」と期待を込めた。
2004~06年に選手として活躍した藤吉信次さん(現東京ヴェルディトップチームコーチ)は、ユニホームも練習場所もなかった時代を振り返り、「クラブに関わる人の情熱がつながり昇格がある。沖縄にしかできない」とうなずく。
07年に総監督に就いた元日本代表監督のフィリップ・トルシエさんは「長いマラソンの先に、J2というプロフェッショナルクラブファミリーの一員となるところまで来た。このプロセスに関わることができて誇りに思う」とコメントした。
経営に携わった沖縄ドリームファクトリー代表の榊原信行さんは「苦しい時期を乗り越え、よく踏ん張って願いをかなえてくれた。いろいろな人の思いと尽力があってJ2昇格の礎が築かれた」と思いを語った。
JFLとJ3でチームを率いた薩川了洋監督(現奈良クラブ監督)は「苦しい時期も経験した中で、チームが一つになったことが結び付いた」とうなずく。「サポーターも含め、皆さんにおめでとうと言いたい。J2の1年目は、まずは残留すること。そこから琉球らしく、コツコツ上がっていってほしい」とエールを送った。