沖縄県うるま市昆布の金城盛徳さん(97)が1944年、旧南洋群島(北マリアナ諸島)テニアン島で捕虜になった時、おんぶしていた当時5歳の女の子「ナガミネフミコ」さんの消息を求めている。金城さんは「今元気であれば78か79歳になっているはず。どこにいるのか。生きていれば会いたい」と話している。

金城盛徳さん(前列左端)が17歳だったころ、テニアンで撮影された家族写真。後列左から2人目が父珍明さん

テニアンで捕虜になったとき一緒だった「ナガミネフミコ」さんの消息を求めている金城盛徳さん=10月28日、うるま市

金城盛徳さん(前列左端)が17歳だったころ、テニアンで撮影された家族写真。後列左から2人目が父珍明さん
テニアンで捕虜になったとき一緒だった「ナガミネフミコ」さんの消息を求めている金城盛徳さん=10月28日、うるま市

 今年カジマヤーを迎えた金城さんは17歳のときに、父親の珍明さんの呼び寄せでテニアンに渡り、製糖工場で働いていた。

 戦闘が激しくなった44年6月、「ナガミネゼンエイ」さん一家と共に壕に避難した。両親と兄は当時、ロタ島にいてテニアンに残っていたのは金城さん一人だったという。

 壕から出ると、近くで米兵が銃を構えていた。金城さんたちを見た米兵は銃を地面に置き、安全だというようなジェスチャーを繰り返して水筒の水を飲んで見せた後、金城さんがおぶっていたフミコさんに飲むよう促した。金城さんにも「ユー、ユー」と飲むよう勧めたという。

 金城さんがナガミネさん一家と沖縄に引き揚げてきたのは46年。インヌミヤードゥイ(現沖縄市高原付近)の収容所からナガミネさん一家と別れ、旧具志川村(現うるま市)松原の収容所に移された、その時期に両親ら家族とは再会した。

 金城さんはその後、妻末子さん(92)の実家がある昆布に移り住んだ。65歳まで採石場で働き、子どもたちも成長し落ち着いたころから、テニアンで別れたフミコさんのことが気になっていたという。安否を気に掛けてきたが、生きているかどうかの確認もできていない。

 金城さんによるとフミコさんの母親の実家はうるま市平良川。屋号は「セーク(大工)ナカマ」で名前はウシ。

 10月17日に市内で開かれたカジマヤー祝いでは、いとこの知念秀雄さんが「忘てわしららん テニアンぬ戦争(いくさ) しぬでぃちゃる命(ぬち)や 人ぬお陰(かじ)」(忘れようとしても忘れることができないテニアンの戦争、こうして元気で過ごせるのも人様のおかげ)と金城さんの心境を琉歌で披露した。

 金城さんは「戦争は人々に不幸をもたらすだけ。世界のリーダーたちは、人を不幸にする戦争は絶対してはならない」と強調した。(翁長良勝通信員)