講演・執筆活動 吉野やよいさん(29)=那覇市出身

 10歳で小児がんの一種「ユーイング肉腫」を発症。6年間の闘病生活中に再発し、2度の余命宣告を乗り越えた「がんサバイバー」。現在は会社員として働く傍ら、自らの闘病経験を基にした執筆やテレビ出演、講演活動をしている。「病気をプラスの経験に変えたいと思い続けていた。今度は自分が支える側になりたい」。その言葉には実体験ならではの重みがある。

「私の経験が、苦しみを抱える人の道標となればうれしい」と語る吉野やよいさん=神奈川県川崎市

 運動好きで活発だった小学4年の冬、背中に激痛が走った。病院でも原因は分からず、成長痛と診断されたが、痛みは増した。精密検査で数百万人に一人というユーイング肉腫のステージ4と告知された。「子ども心に漠然と死を意識した。同時に生きたいとも」

 始まった闘病生活。抗がん剤治療では2カ月も昏睡(こんすい)状態になった。がんが消えるか、自分が耐えられなくなるか、どちらが先かという極限の中で「きちんと家族への言葉を残そう」と、何度も遺書を書き直した。

 激しい拒絶反応と難手術を乗り越えて生還。つらいリハビリも家族や医師らの支えでやり抜いた。6年の月日がたっていた。

 病院という限られた世界から日常に戻るには勇気がいった。「病気のことは知られたくない」と高校では病気を伏せてバレーボール部に入ったが、基本動作もままならず部員との壁はできるばかり。だが、正直に打ち明けて関係は好転した。

 「心を開いて周りを頼ることは恥ずかしいことではない。人生を挽回するチャンス」と気持ちも積極的になった。

 高校2年には闘病生活を振り返る手記を執筆した。大学や社会人では「がんで苦しむ子どもの痛みが私には分かる。力になりたい」と県が策定するがん対策推進計画の委員や、学校や医療機関、企業向けの講演活動にも取り組んできた。

 今年10月、知人の紹介で知り合った男性と2年の交際を経て結婚した。体に残る幾多の手術痕さえも、ありのまま愛してくれた。絶望に暮れていた小学生の時、体を拭いてくれた母が掛けてくれた言葉がある。「いつかこの傷を見ても、嫌だとか、怖いとか思わない人がきっと現れるよ」

 完治した今も、闘病の後遺症は体のあちこちに痛みとなって出てくる。定期的な検査と投薬が欠かせないが、「今後は臨床心理士など専門的な知識を得た上で活動の場を広げたい」と目標を掲げ、伴侶と共に前を見据える。「病気は私から時間を奪ったが、同時に人の優しさを教えてくれた。今度は私が伝える番」。優しい瞳の奥に力強さが宿った。(小笠原大介東京通信員)=連載・アクロス沖縄<97>

 よしの・やよい 1989年、那覇市生まれ。10歳で小児がん(ユーイング肉腫)を発症。6年の闘病生活を東京と沖縄で送る。完治後、定時制泊高校、早稲田大学人間科学部を卒業。一般社団法人那覇市医師会を経て、現在はキヤノン株式会社に勤める傍ら、講演活動などを行う。著書に「涙の向こうに花は咲く」(世界文化社)ほか。