「日本マラソンの父」と呼ばれる金栗四三さんは、42・195キロの距離を「死に行く覚悟」と語呂合わせしたそうだ。スポーツライターの増田明美さんがコラムで紹介していた
▼金栗さんは、日本が初参加した1912年のストックホルム五輪に出場している。船と鉄道を乗り継いで2週間以上かけて現地に入り、ゴム底靴の外国人選手に交じって足袋で走った逸話が残る。スポーツ以前の国力で劣っていた時代の話である
▼それから1世紀。ランニング愛好者の急増と緩やかな時間制限が手伝って、マラソン挑戦の壁はぐっと低くなった。特に規模の大きな都市マラソンが人気で、競技のすそ野が広がっている
▼きょうNAHAマラソンの号砲が鳴る。師走の街を3万人余りのジョガーが駆け抜ける。家族愛や友情、笑いが詰まった市民マラソンには、走る人の数だけ物語がある。そこでは一人一人が主人公
▼決して楽ではない距離に、こんなにも多くの人が挑むのは、完走した人にしか分からない特別な感動があるからという。苦しければ苦しいほど、乗り越えた後の爽快感は格別なのだろう
▼今、南部路ではススキの穂が出そろっている。追い掛けるようにサトウキビの穂も出始めた。黄金に彩られたコースの先に、達成感というご褒美が待っている。(森田美奈子)