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  • テニアンで女児を背負って逃げた男性(97)とその女性(78)が再会
  • 戦後音信不通だったが、男性が本紙で呼び掛け、女性が名乗り出た
  • 72年ぶりの再会に男性は「ようやく私の戦後は終わった」と感無量

 旧南洋諸島のテニアンで戦時中、下宿先の女の子を背負って逃げていた金城盛徳さん(97)=沖縄県うるま市昆布=が、72年ぶりにその子と再会した。おぶわれていたのは、当時5歳だった長峯文子さん(78)=沖縄市。二人は「本当にお世話になりました。ありがとうございます」「文子さん、元気だったね? とても会いたかった」と手を取り合って涙を流した。

再会を果たした金城盛徳さん(左)の肩に手を置く長峯文子さん=18日、うるま市昆布の金城さんの自宅

4歳ごろの長峯文子さん。右は弟で次男の故善信さん

再会を果たした金城盛徳さん(左)の肩に手を置く長峯文子さん=18日、うるま市昆布の金城さんの自宅 4歳ごろの長峯文子さん。右は弟で次男の故善信さん

 金城さんが女の子の消息を捜しているとの記事を沖縄タイムスが5日に掲載したのがきっかけ。長峯さんの弟の善則さん(73)が気付き、18日に二人で金城さんの自宅を訪ねた。

 文子さんは当初「誰のこと?」と思ったが、2011年に94歳で亡くなった母ウシさんが生前、何かにつけて金城さんの話をしていたことを思いだし、新聞に書かれている連絡先に「私です」と電話を入れた。

 インターネットや報道で知った友人たちからも「金城さんに会って喜ばせてあげることが両親への孝行になる」と声を掛けられた。

 金城さんは南洋時代、文子さんの家に下宿していた。その時から文子さんをかわいがり、文子さんの父善栄さんやウシさんからは親しみを込めて「セイトクー」と呼ばれていたという。戦後は1946年にそれぞれ沖縄の故郷に戻り、親交が途絶えていた。

 文子さんは大学卒業後、宜野湾市真栄原の私立学校の事務職として54年間勤め、現在はガールスカウト活動に関わっている。再会した日は、金城さんの孫が手作りした「ようこそ」の横幕が掲げられ、金城さんの親戚たちから歓迎された。

 金城さんは「胸につかえていたことが晴れてようやく私の戦後は終わった。人生で例えようがない喜び」と感無量の表情。文子さんは「再会は両親の導き。これからは70年余の空白を埋めて交流したい」と語った。(翁長良勝通信員)