街明かりに照らされ、シュプレヒコールの波が押し寄せる。赤いはち巻き姿で先頭に立っていたのは、当時の稲嶺恵一知事。予定にない行動に、だれもが目を見張った
▼2005年7月。金武町伊芸区に隣接する米軍キャンプ・ハンセン「レンジ4」の都市型戦闘訓練施設で実弾射撃が始まったのを受け、撤去を求める県民集会が開かれた
▼砲弾の破片が民家屋根を突き破り、銃弾が女児の足を貫く。流弾事故を何度も経験してきた同区は、住民総出の監視を1年以上続けていた。運動は共感を広げ、集会には1万人が詰め掛けた
▼側近によると、稲嶺知事は集会あいさつだけで切り上げるはずだったという。それが会場の熱気に押されて集会後のデモ行進にも加わり、拳を突き上げた。国との関係を重視する保守系知事としては異例の行動に、国は県側の「覚悟」を知ったそうだ
▼国は当初「米側に訓練中止を求めることはできない」とにべもなかった。それが運動拡大とともに住宅地から遠いレンジへの移設を検討し始め、集会2カ月後には米側と正式合意する。住民が知事を動かし、知事が国を動かした ▼普天間飛行場の辺野古移設に向け、国の圧力が強まっている。「県外」を貫けるのか、今度は仲井真弘多知事の覚悟が問われる。そしてそれを支える県民の側も。(鈴木実)