神奈川県鎌倉市在住の島岡稔さん(77)=鹿児島県奄美市出身=が自宅で所蔵している三線1丁が、琉球王朝時代の1825年に作られ、「胴」の部分が、現存し年代が確認されている三線で最も古いことが分かった。10月下旬に島岡さんが三線を持参して来県し、県立博物館・美術館の園原謙学芸員が確認した。三線は15世紀ごろに中国から沖縄へ伝わったとされるが、沖縄戦でほとんどが消失。約190年前の逸品が見つかるのは極めて珍しい。(東京報道部・西江昭吾、社会部・岡田将平)

「胴」の部分が現存する最古の三線を持つ島岡稔さん=神奈川県鎌倉市の自宅

島岡稔さんの三線と木箱=神奈川県鎌倉市の自宅

「胴」の部分が現存する最古の三線を持つ島岡稔さん=神奈川県鎌倉市の自宅 島岡稔さんの三線と木箱=神奈川県鎌倉市の自宅

 園原さんによると、三線の胴は消耗品とされ、新しく交換される場合が多い。一方、「棹(さお)」は1600年代に作られたとの記載がある三線もあるという。

 島岡さんの三線の胴の銘書きには「道乙酉 渡慶次作」と書かれており、「道乙酉」は中国暦で1825年に当たる。「渡慶次」という名字の職人によって作られたとみられる。

 三線は箱には「知念型」と記されているが、「真壁型」。材質は棹は黒檀、胴は「柚子」と書かれているが、県産のイスノキ(方言名・ユシギ)と思われる。

 三線は、島岡さんの父直行さんが1968年、いとこから譲り受けて以来、奄美市の実家で保管されてきた。直行さんは三線を弾かなかったが、地域の祝い事などで島唄愛好家が演奏し、評判を得ていたという。約35年前に父から稔さんに保管を託された。

 いとこの家系は代々、徳之島の伊仙町の一帯を治めてきた歴史があり、徳之島の郷土史によると、初代当主が沖縄の首里で、もみ30俵と引き換えに手に入れ、愛用したと伝えられている。

 島岡さんは「古い三線とは知っていたが、現存するもので最古とは」と驚き、「父が譲り受けた時は皮がぼろぼろだったが、新しく張り替えたと聞いている。これからも大切に保管したい」と話した。