「メェー」。沖縄県名護市辺野古の漁港を見下ろす丘に、ヤギの鳴き声が響く。今月23日の夕方、辺野古の知念良和さん(57)が、軽トラックで草を運んで、小屋で待っていたヤギたちに与えていった。3頭は知念さんのヤギで別の住民たちのヤギ4頭もいる。1頭は出産が近いと教えてくれた。

ヤギにえさをやる知念良和さん=23日、名護市辺野古

 沖縄で祝い事の際、振る舞われてきたヤギ。辺野古でも風習は残り、入学祝いなどでヤギ汁や刺し身が提供される。そのためのヤギを知念さんは飼っている。

 ヤギ小屋ができたのは40年ほど前。もともと、知念さんの母が辺野古の社交街で米兵相手のクラブを営んでおり、店を畳んだ際に建物を解体して、そのはりや柱を運び、父が小屋を建てた。

移設賛成の立場だが…

 辺野古にある米軍キャンプ・シュワブは1957年に建設が始まり、もともとの集落と基地との間の高台に社交街ができていった。60年代には基地はベトナム戦争に行く米兵の拠点となり、街には米兵があふれた。知念さんの母はその街で米兵向けのクラブを営んだ。知念さんにも米兵で賑(にぎ)わう街の記憶がある。「米兵はお金を使う一方だった」。戦争に行く前に、どんどんお金を落としていった。「何を売っても売れた。ざるにゆで卵を入れて売っている人もいた」

 知念さんは中学卒業後、料理人の修業のため、1年間大阪に出た。その後、戻ってきて、母のクラブを手伝った。100人ほど入る店で、バンドの演奏もあった。だが、しばらくして米兵の客は少なくなり、母はクラブを閉め、別の店を開いたという。

ヤギ小屋から望む海

 知念さんが亡くなった父から小屋を引き継ぎ、10年ほどになる。9月末の台風で屋根が飛ぶなどの被害に遭ったが、建物は残った。

 小屋の敷地からは、シュワブ沖の新基地建設現場が望め、埋め立て予定地が白いコンクリートブロックで囲まれているのがくっきりと見える。夏にいったん工事が中断し、大きな変化はないが、知念さんは「1回、これだけやってるから止まらないだろう」と語る。

 辺野古に普天間飛行場の移設が持ち上がると、雇用が増えると聞き、久辺地域振興促進協議会の活動に参加し、移設賛成の立場を取ってきた。

もう行けないんだな

 ただ、米軍機の騒音増加や事故の恐れ、米兵が増えることでの治安の悪化、と心配の種は尽きない。それでも、基地ができれば、雇用が生まれ、基地を見に来る人たちを相手に観光の産業も生まれるのではないかとの期待も抱いてきた。そんな中、国側は辺野古区が求めてきた戸別補償は法的に「できない」とした。「補償がないんだったら、やっぱり元に戻してくれ」との思いも湧く。

 シュワブの中に住民用のパスで入り、そばの岩場でウニやタコを捕ったこともある。だが、護岸に囲まれた海は、当時の面影はすでになくなった。「懐かしいな。もう二度と行けないんだな」。寂しさもある。

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 新基地建設の予定地となり、連日、新聞紙面に取り上げられる「辺野古」。そこには人々の日々の営みや紡がれてきた歴史があり、その中で住民は基地問題に翻弄(ほんろう)されてきた。「暮らし」から辺野古を見つめる。(社会部・岡田将平)=随時掲載