開館20周年を迎えた那覇市立壺屋焼物博物館で特別展「民藝と壺屋焼−その影響と現在」が開催されている。民芸運動を興した柳宗悦(1889〜1961年)らが戦前の沖縄で収集し、日本民藝館(東京)などが所蔵する名品が里帰りし、約70点を展示している(12月4日から約10点入れ替え)。沖縄戦の戦禍を免れた17〜20世紀の名品を鑑賞できる。

いずれも1939年に作られたもの。右は河井寛次郎が来県時に石こう型を基に壺屋で作ったと考えられている。左は河井の型を使って作ったと考えられる壺屋焼

ともに1939年に山里永吉氏から寄贈された「白掛呉須飴差灯明台」。左は柳宗悦が初代館長の日本民藝館所蔵。右は濱田庄司記念益子参考館所蔵=那覇市立壺屋焼物博物館

いずれも濱田庄司氏が作陶したもの。手前は「白掛赤絵抱瓶」(1927年ごろ)。奥は抱瓶の形を意識して作った「赤絵黍文扁壺」(60年代)

いずれも1939年に作られたもの。右は河井寛次郎が来県時に石こう型を基に壺屋で作ったと考えられている。左は河井の型を使って作ったと考えられる壺屋焼 ともに1939年に山里永吉氏から寄贈された「白掛呉須飴差灯明台」。左は柳宗悦が初代館長の日本民藝館所蔵。右は濱田庄司記念益子参考館所蔵=那覇市立壺屋焼物博物館 いずれも濱田庄司氏が作陶したもの。手前は「白掛赤絵抱瓶」(1927年ごろ)。奥は抱瓶の形を意識して作った「赤絵黍文扁壺」(60年代)

 2016年に創設80周年を迎えた日本民藝館は、県立博物館・美術館とともに那覇市で「沖縄の工芸展−柳宗悦と昭和10年代の沖縄」を開催した。その際に展示された作品も再び沖縄に帰ってきている。ただ今回の展覧会は壺屋と民藝の関係に注目して企画された。濱田庄司記念益子参考館(栃木)、益子陶芸美術館(同)、河井寛次郎記念館(京都)、京都国立近代美術館から作品を借り入れた。県内からは県立博物館・美術館と久高民藝店所蔵のものも並ぶ。

 担当した主任学芸員の比嘉立広さんは昨年夏に展示会を企画。県外の5館に打診し、今年夏に各館を巡ってきた。新たに分かったこともあったという。

 民衆工芸=民藝を説き、日本民藝館を創設した柳は1938年から40年にかけて4度来県している。濱田庄司(1894〜1978年)と河井寛次郎(1890〜1973年)はそれより前の、今から100年前の1918年に初めて来県していた。

 比嘉さんが各館にある台帳や目録と、実際の所蔵品を確認しているうちに日本民藝館と益子参考館に似通った器があることが分かった。

 その二つが今回、展示されている「白掛呉須飴差灯明台(しろがけごすあめさしとうみょうだい)」だ。日本民藝館所蔵のものは柳が作家の山里永吉氏から入手したもので、益子のものは濱田が同じ39年に収集していたという。39年の来県時は柳、濱田、河井の3人とも日本民藝協会の琉球観光団のメンバーだった。

 比嘉さんは「彼らが分け合っただろう灯明台をこうやってともに並べることができた」と喜ぶ。「器そのものは知られているが、器にまつわる来歴は意外とあまり研究されていなかった」と話した。

 また、濱田は2回目に来県した24年以降、定期的に壺屋に通い、新垣栄徳の工房や登り窯で作陶した。今回の展示では濱田が27年ごろ壺屋で作った「白掛赤絵抱瓶(だちびん)」も展示されている。また戦後に入り、壺屋焼の抱瓶の形を意識して、濱田が60年代に作陶した「赤絵黍文扁壺(きびもんへんこ)」も並ぶ。

 濱田は壺屋にない技法や形、模様を用いて制作し、壺屋の職人に影響を与えていったという。比嘉さんは「民藝運動の一環として行った作家と職人の協力関係が感じられる」と分析する。

 河井が39年に来県し、石こう型で制作したと考えられる角瓶と、壺屋の職人が河井の型を使って作られたと考えられる角瓶も並ぶ。

 比嘉さんは「濱田や河井が壺屋のどういう部分に感動して影響を受けたのか。また柳や濱田、河井を窓口とした民藝に、沖縄の人たちがどう影響を受けたのか。展示が今後の研究を深めるきっかけになってほしい」と来場を呼び掛けた。

 展示は12月27日まで。22日には新しく開館する県立図書館でシンポジウムを予定している。沖縄民藝協会会長で陶芸家の島袋常秀氏や、陶芸家の玉城望氏、松田共司氏、壱岐幸二氏が登壇する。東大名誉教授の松井健氏の基調講演もある。問い合わせは同館、電話098(862)3761。(学芸部・吉田伸)