今から193年前の1825年はどんな年だったか。浮世絵師の葛飾北斎が「富嶽三十六景」の創作に没頭していた頃。幕末の政治家、勝海舟はまだ2歳。桜吹雪の名奉行で知られる「遠山の金さん」が活躍するのはもっと後だ

▼そんな年に作られた三線が神奈川県鎌倉市で大切に所蔵されていた(25日付紙面)。持ち主は奄美大島出身の島岡稔さん(77)。専門家に調べてもらうと、「胴」の部分が現存し年代が判明しているもので最古と分かった

▼なぜ琉球で作られた三線が奄美へ渡ったのか。徳之島の郷土史には、島の有力者が首里でもみ30俵と交換したと記されている。琉球はこの年、大飢饉(ききん)に見舞われ、多くの餓死者が出たと伝えられる。三線は生き永らえる糧を得る無二の存在だったのかもしれない

▼〈蛇皮線の名器が年の祝いに引っ張りだこの人気を集めている〉。奄美の地元紙、南海日日新聞の49年前の記事に三線が紹介されている

▼〈一晩中ひいていても肩が凝らない。弦が柔らかく音もさえている〉。島唄愛好家の感想を読むと、こちらまでうれしくなる

▼島岡さんの自宅で三線と対面したひととき。ティン、トン、ティン。逸品を独り占めするぜいたくな余韻に浸った。数奇な巡り合わせで戦禍を免れ、時を経て今に響く音色。平和の尊さを奏でているようだった。(西江昭吾)