辺野古新基地建設に向け、沖縄防衛局が土砂投入を予告する14日が来た。名護市民が1997年の市民投票で反対の意志を示してから21年、現地は大きな節目を迎える。当時0歳で、今は基地建設に関わる辺野古出身の若者。沖縄戦を体験し、反対運動の先頭に立った高齢者。2人の立場は違うが、「なぜ、いつまでも問題が終わらないのか」という問いは重なる。(北部報道部・阿部岳)

(左)「時代は変わる」と話す島袋ラコーディアントニオさん(右)「子どもたちを戦争に行かせない」と語る宮城幸さん

「若い世代が先を見てはいけないですか」

◆島袋ラコーディアントニオさん(21)

 地元辺野古で今年、建築関係の会社を立ち上げた島袋ラコーディアントニオさんは21歳。新基地建設工事の下請けでキャンプ・シュワブに入る日も多い。

 幼い頃、祖父に連れられて魚や貝を捕った海が目前で護岸に囲われ、埋められようとしている。「懐かしい気持ちはある。だけど母校の校舎が建て替えられるようなもの。変わる時代には順応しないといけない」と淡々と語る。

 辺野古の母方の親戚は終戦直後、米軍から入手した粉ミルクで育ったと聞いた。父はシュワブに駐留していた元米兵。基地があるから、自分や家族の命もある。反対する市民の「基地はいらない」という言葉に抵抗を覚える。

 シュワブとつながりながら歩んできた辺野古の街が大好きだ。新基地建設で国の財政支援や兵員が増えるのを機に、街づくりに取り組みたいと考えを巡らせる。「国任せや人任せではうまくいかないと思う。一人一人が動いて、自分の手で作る豊かさを目指したい」と言う。

 「僕たちが生まれる前からずっと国と県がバチバチ対立している。沖縄はいつまでも反対しないといけないですか。若い世代が先を見てはいけないですか」。ここで「決着」をつけて、先に進みたいと考える。

「これが民主主義ですか。沖縄は日本ですか」

◆宮城幸さん(82歳)

 市内で保育園を創立して間もなく40年。宮城幸さんは82歳の今も現役の保育士だ。「子どもの命を守る」ことを第一に掲げてきた。

 9歳の時、自分の命も沖縄戦に脅かされた。家族と山中を逃げ惑い、収容所でマラリアにかかった。長兄は徴兵され、南部で命を落とした。「死にに行くんだ」と分かりながら見送るしかなかった出征の光景がまぶたに残る。

 復帰前、父の故善兵さんは沖縄自民党で立法院議員を3期務めた。自身は対立する祖国復帰協議会の集会に足を運んだ。それでも父とは仲が良かった。「自民党の名前通り、私も自由と民主主義万歳。みんなもそれは同じでしょう」

 新基地問題が名護に降りかかると、市民投票の計画が持ち上がった。合言葉の「大事なことはみんなで決めよう」は民主主義そのもの。条例制定の署名集めや反対の投票呼び掛けに奔走した。必死で勝ち取った投票結果。しかし市長が覆し、国が利用して、新基地建設が進められてきた。

 どこよりも安全であるべき保育園や小学校に部品を落とす米軍機。それを同じ沖縄の名護に移すことが決着なのか。国が諦めるまで、諦めずに問う。「これが民主主義ですか。沖縄は日本ですか。いつまで犠牲になればいいのですか」