【山城博明通信員】沖縄県人ボリビア移住110周年記念行事の一環として、ベニ県リベラルタ町の共同墓地にある日本人慰霊碑前でこのほど、慰霊祭(同実行委員会主催)があった。多くの日系人が参加し、困難を乗り越え発展の礎を築いた先人の歩みに思いをはせた。

日本人慰霊碑前で追悼の辞を述べる知念良信・沖縄県人ボリビア移住110周年記念祭委員長=リベラルタ町共同墓地内

 リベラルタは100年前、多くの沖縄県人が住んでいた。

 1907年にペルーへ第4航海として渡った故当山牛さん(那覇出身)の孫で、日系3世の当山イシー神父の礼拝に続いて、地元のリベラルタ日系文化協会の若松ソレダー会長が「沖縄県人をはじめとする多くの日本人がリベラルタの発展に寄与された功績は語り尽くせないほど多くある」と述べた。

 また、リベラルタ町議会のフレディー・ハッサン議長と町長代理のカロラ・オリバ町議員が、沖縄県人が農業に従事して豊富な野菜を提供し、町民の食生活を変えた功績を強調した。

 沖縄県人ボリビア移住110周年記念祭の知念良信委員長は、沖縄県人がペルーへ契約労働者として渡航し過酷な環境の中、より良い条件を求めてボリビアへの転住を余儀なくされたこと、戦後の戦災救援活動を通して沖縄村建設構想を打ち立て今日のオキナワ移住地の実現へとつなげた歴史を紹介。「戦後の計画集団移住も開拓作業は困難を極めたが、協同・共生の精神で乗り越え今日の発展を見ている。先人が身をもって示した沖縄県人の心は貴重な遺産であり、子々孫々まで語り継がなければならない」と述べた。

 リベラルタは100年前、ゴム景気で栄えた町で、ゴムブームが去るとゴム樹液採取に従事した多くの日本人が町や近郊に移り住み商業や農業に携わった。県別では沖縄県人が一番多く県人会を組織して活動してきた。戦後の混乱期に戦災救援会を発足して母県への救援活動を展開した。