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  • 戦争で焼失した那覇市役所の塔とみられる柱の写真が確認された
  • 住民が戻れなかった時期の写真で奥に上山国民学校らしき建物も
  • 塔は5階建てで時報が狂ったことから「バカ塔」の愛称で親しまれた

 1944年10月の「10・10空襲」で甚大な被害を受けた那覇市中心部で、那覇市役所の塔の一部とみられる柱が写る写真が確認された。写真を収めた封筒には「1945年9月」との記載がある一方、一緒にあった写真の中には「1945年12月」と記されているものがあり、終戦から間もない時期に撮影されたものとみられる。戦後の居住制限により、まだ市中心部に住民が戻れなかった時期の写真で、専門家は「時間と場所が分かる非常に良い写真」と語る。

那覇市役所の塔の一部とみられる柱(左)が写る写真

那覇市歴史博物館が戦前の那覇市街を再現した模型。模型の中心にあるのが那覇市役所の塔=2014年10月

那覇市役所の塔の一部とみられる柱(左)が写る写真 那覇市歴史博物館が戦前の那覇市街を再現した模型。模型の中心にあるのが那覇市役所の塔=2014年10月

沖縄初の鉄筋コンクリート建物

 昨年9月に那覇市の男性(68)から沖縄タイムス社に提供された13枚の写真の中に含まれていた。写真は米軍基地で働いていた男性の妹が、7、8年前に、米海兵隊に在籍していた曹長が沖縄を離れる際に受け取ったというが、詳細は不明という。

 旧市役所は現在の那覇市東町にあり、郵便局や百貨店がある大門前(ウフジョーメー)通りに面していた。那覇市史によると、市役所は19年に完成。5階建ての塔は、上に取りつけられた時報のサイレンが狂ったことから、「バカ塔」という愛称が付いたという。塔の上からは市内が見渡せた。

 10・10空襲で市役所の庁舎は焼失。市歴史博物館の外間政明学芸員によると、塔は空襲の後にも建っている写真が確認されているが、その後の状況ははっきりしないという。

 写真には、数メートルとみられる2枚の高い柱のようなものが写る。奥の建物は上山国民学校(現・上山中学校)の可能性があり、そばには進駐軍のものとみられるテントが張られている。写真は「Building near Naha、Okinawa(沖縄、那覇の近くの建物)」と裏書きが読み取れる。

 沖縄の近代建築に詳しい京都華頂大学の川島智生教授によると、市役所は沖縄初の鉄筋コンクリートの建物で「コンクリート建築のともしびをつけた画期的な建物」。塔は本体と「バットレス(支え柱)」と呼ばれる柱からできていたという。

 外間学芸員は、柱の高さなどから、塔の一部の可能性が高いとみる。撮影時期は冬で、一部だけ残っているのは、那覇に駐屯した米軍が見通しをよくするために人為的に撤去した可能性もある、と推測する。(社会部・岡田将平)