那覇の街並み「情緒あった」 当時を振り返る

 那覇市の新城喜一さん(85)は、子どもの頃、市役所の塔に上ったことがある。中はらせん階段になっていたという。「高い」という印象が残る。近くにはそば屋があったという。

 写真では跡形がなくなった街の姿が写るが、新城さんの心には、一帯を遊び回った時の鮮やかな記憶が残る。新城さんは、同市西本町(現・西など)で育ち、後に天妃町(現・久米など)に移った。学校から帰ると、かばんを放り投げて、街に出た。近くに映画館が二つあり、こっそり入って、時代劇などを見た。市役所の塔に入ってみたのも、好奇心からだった。

 太平洋戦争中は、塔から空襲警報や警戒警報が鳴ったという。1944年10月10日、飛行機が上空を飛んでいるのを見た。日本軍と思い、「今日の訓練はすごいな」と思っていたら、爆弾を落としてきた。家族と避難し、現在の同市安里付近で振り向くと、真っ黒い煙が上がっていた。戦後、もともと暮らしていた街を見た時には「さみしい感じだった」という。

 戦後、映画の看板描きをへて、沖縄芝居の舞台美術の仕事をした。戦前の写真を参考にして、芝居の舞台となる戦争より前の風景を描いてきた。「戦前は沖縄らしい情緒があった。素晴らしい風景だった」と懐かしむ。