1997年の名護市民投票で反対が勝って基地問題は解決すると思った。まさか21年後、辺野古の海に土砂が投入されるとは思わなかった。国は「これでもか」と工事を強行し、新基地建設反対の座り込みが始まった2004年に「骨になっても海を守る」と抗議していたお年寄りは何人も亡くなった。