沖縄県女師・一高女ひめゆり同窓会理事長や、ひめゆり平和祈念資料館館長を歴任した新垣博子(あらかき・ひろこ)さんが4日午後4時38分、老衰のため、那覇市内の病院で死去した。99歳。那覇市東町出身。自宅は那覇市首里真和志町2の22。告別式は7日午後5時から6時、那覇市首里寒川町1の2の安国寺で。喪主は次男義夫(よしお)さん。

新垣博子さん

 1936年、県立第一高等女学校を卒業。同校の教諭になるも、戦時中は大分県に疎開した。沖縄戦に多くの教え子がひめゆり学徒隊として動員された。戦後は琉球大学教授を務め、85年には同大の名誉教授になった。96~2002年には県女師・一高女ひめゆり同窓会理事長、1998~2000年までひめゆり平和祈念資料館の3代目館長を務めた。

 00年には、石川県の石川護国神社の「大東亜聖戦大碑」にひめゆり学徒隊の名が無断で刻まれたことに対し、同窓会として「聖戦なる戦争などあるはずがない」と文書で訴えた。02年には平和教育に貢献したとされ、県功労者として表彰された。

沖縄戦の教え子の犠牲、胸に

 ひめゆり平和祈念資料館前館長の島袋淑子さん(90)は沖縄師範学校女子部の生徒だった頃、新垣博子さんから家庭科を学んだ。「おきれいで、みんなの憧れの的だった」。生徒たちはいつも新垣さんの話で盛り上がったという。戦争に巻き込まれる前の楽しい学生時代の思い出だ。

 新垣さんは戦後、生徒たちと戦場に行くことがなく、多くの教え子を失ったことを気にしていたという。資料館ができる前から開館後も、島袋さんたちの相談相手となってくれたという。「まだまだお元気でいてほしかった。とても残念」と惜しんだ。

 同資料館を運営する県女師・一高女ひめゆり平和祈念財団の仲程昌徳理事長(75)は「ただ残念」と声を落とした。新垣さんは資料館の理念として反戦平和を祈る「ひめゆりの心」を築いたとし「親子ほどの年の差があって頼りなく見えたかもしれないが、新垣さんの教えを後輩に引き継いでいく」と決意を新たにした。