父を荼毘(だび)に伏そうと家を出る矢先、電話が鳴った。初めて聞く声の主が「お父さんは昔、軍桟橋で働いたことがあるねえ」と問うてきた
▼黒枠広告を見て連絡したと言う。当時にして50年ほど前、ほんの一時期働いたらしいと、かすかに記憶する程度。知らない親の一面を突かれ、長年の空白を経て気に掛けてくれた老齢の男性との出来事が先日のニュースでよみがえった
▼県内の米軍基地で1946~66年に働いていた軍雇用員の労務管理カード約20万枚が県公文書館にあり、アスベスト被害救済に向けた活用のめどが立っていないという一報。カードは顔写真付きで、名前や生年月日、住所のほかに本籍や職歴などが記され、ほぼ間違いなく本人を特定できる
▼約5年前の「消えた年金記録」問題では、40年前の軍雇用員2人の証明に役立った。アスベストの被害者や遺族が、年金のように救済されることを切に願う
▼さらに広げれば、一般にほとんど知られていないカードの存在だ。20万人に及ぶウチナーンチュの沖縄戦後の苦難の人生が、段ボールの中に埋もれている
▼生活に精いっぱいだった当時の軍雇用員たちが、過去を見詰める高齢期にある。1人に1枚ずつ記録され保管された人生の断片に、戦後の苦楽を重ね、思いを募らせる当事者や遺族は多いはず。(与那嶺一枝)