小さいころ、台風はちょっとしたイベントだった。深刻そうな大人たちや、非日常の雰囲気にそわそわしつつ、夜は必ずヒラヤーチーが出たりして、いつもと違う状況は不謹慎ながら楽しかった
▼だが同じ天災でも、1981年から82年にかけての復帰後最大の渇水は、約1年も県民を苦しめた。給水制限は「隔日20時間」の厳しい時期も入れて326日
▼給食はパンと牛乳だけになり学校に水筒を持って行ったのを覚えている。家で大きなポリバケツに水をため、大事に使った。深刻な水不足は、82年5月の豪雨でやっと救われた
▼あれほど大規模な断水は、もう本島では起きていない。それもそのはず、74年の福地ダム完成を皮切りに、40年間で北部に10カ所もダムが建設された。蛇口から簡単に流れ出す水の源は、ヤンバルの豊かな森にある
▼先日開かれた北部ダム湖サミットでは、ダムを抱え水を送り出す北部6市町村の代表と、その水を使って発展を続ける中南部の代表や関係者が出席。沖縄の「南北問題」を再確認する場となった
▼日々の生活や経済、文化活動もすべて、水なしに成り立たない。一方でダムを造れば安心、ではない。山を削れば水を保つ森林は消え、取水が続けば川はやせる。目前にありながら見えていない恩恵を、考える機会になった。(儀間多美子)