株式会社フロッサ代表取締役 今井恒子さん(61)=石垣市出身

 変化の激しいIT業界で業務拡大を続ける傍ら、沖縄への企業誘致や若手人材の育成、離島の子どもたちに教育機会を提供するボランティア活動に携わるなど、故郷と本土の懸け橋として奔走する。原動力は、同じ石垣出身で早稲田大総長を務めた大濱信泉氏の「人の価値は生まれた場所で決まるものではない」という言葉だ。

「県外で頑張る人間にとって、帰る場所があるのは最高の宝物」と語る今井恒子代表=埼玉県朝霞市・フロッサ本社

 中学1年だった1970年、漁師だった父がダイナマイト漁で爆発物を使用した容疑で逮捕された(後に恩赦)。爆弾が闇物資として横行するなど、戦争の爪跡が残る混沌(こんとん)の時代。家族を養うためだったが、逮捕を機に生活は一変した。

 保釈金を賄うため、父は遠洋漁業へ、母は三つの仕事を掛け持ち、自らも高校時代はエプロンを巻いて魚市場に立った。だが悲壮感はなかった。「働き者の母の姿を見て勇気づけられた。それに常連客とのやりとりなど、母から“損をして得を取る”という商売の基本を教えてもらった」

 八重山高校卒業後、76年に上京。貿易会社に勤務し、急速に進むコンピューター化を目の当たりにしてプログラマーに転身した。まだITという言葉さえない、男性中心の社会。全ては手探りだった。

 英文のマニュアルに対応するため働きながら大学で学び、米国への短期留学も果たした。だが、帰国後に勤めた会社が2社連続で倒産。不運に落ち込みながらも同業者の集まりで「仕事を出すので起業されては?」と声を掛けられ、高校時代に培った商売魂に火がついた。

 2001年に42歳で会社を設立。社名には好きな言葉の頭文字を取った。自らの会社が持てる喜びに時間を忘れて仕事に没頭した。従業員を抱え「起業した以上、会社を継続させなければ」という想像以上の重圧にも耐えてきた。

 リーマンショック、東日本大震災の困難に加え、人を信じて裏切られることもあった。それでも「思いついたら即行動」を掲げ、次々と時代のニーズに合わせた施策を打ち出し、会社を軌道に乗せた。「人の何倍も働いた父の背中を見て不屈の精神を学べた」。現在は埼玉、大阪、沖縄に事業所を構え、約40人を雇う。

 06年以降は、本業に加えて関東沖縄IT協議会の副会長、WUB東京会長と奔走。沖縄への企業誘致に貢献したほか、離島の子どもたちに教育や体験機会を提供する一般社団法人「おきなわ離島応援団」を立ち上げた。「子どもたちには環境がハンディになってほしくない。何より沖縄のためというだけで私の魂が喜ぶ」と笑顔を見せる。

 12年には長年の夢だった自らと家族の半生記を出版した。「これも私を支えてくれた夢の一つ。どんなことでもいい。夢を一つ結実させる喜びを感じてほしい」。年々強くなる故郷への回帰を胸に、次世代へエールを送った。(小笠原大介東京通信員)=連載・アクロス沖縄<101>

 【いまい・つねこ】1957年、石垣市新川生まれ。八重山高校を卒業後、貿易会社でテレックスオペレーターとして勤務しながら、昭和女子短大英文科を卒業。コンピューター関連会社に勤務した後、2001年にIT関連ソフトウエア会社「フロッサ」を設立。WUB東京会長、関東沖縄IT協議会副会長など、沖縄と本土、世界をつなぐ活動もしている。12年に半生を記した「ウミンチュの娘」(角川書店)を出版。旧姓は上原。