【松田良孝通信員】日本統治下の台湾で、那覇出身の医師、南風原朝保氏(1893〜1957年)が住居兼診療所として台北市内に建てた木造2階建ての旧南風原病院が12月22日までに取り壊された。終戦直後には県出身者の組織、台湾沖縄同郷会連合会の連絡先としても使われ、台湾と沖縄の関係を示す建物として知られていた。専門家からは、同病院があったことを示す説明版を設置してはどうかという声も出ている。

 建物の跡地は現在、金網で囲われ、入れないようになっている。近年、傷みが激しく、使われない状態になっていた。

 植民地統治期の台湾へは、多くの県出身者が仕事や教育の機会を求めて移り住み、太平洋戦争末期には先島を中心に疎開が行われた。終戦後、台湾から引き揚げてきた沖縄出身者は3万人といわれる。

 同連合会は沖縄出身者の台湾引き揚げを進めるための組織で、中華民国政府や米軍関係者との交渉や、台湾で引き揚げを待つ沖縄出身者の支援などを行った。会長は台湾総督府水産講習所長を務めた与儀喜宣氏(1886〜1948年)。南風原氏は副会長だった。

 植民地期の台湾で台北師範学校本科を卒業したジャーナリストの宮城鷹夫さん(96)=南城市佐敷=は「台湾にいる頃、沖縄出身の学生は南風原病院に親しみを持ち、病気でなくてもよく集まった。沖縄出身の看護師さんも2、3人いて、みんなで沖縄の話に花を咲かせていた。学生にとって南風原病院は憩いの場であり、沖縄を知る和やかな場所だった」と思い出を語った。

 台湾からの引き揚げに詳しい中城村教育委員会の中村春菜さんは「南風原病院が取り壊されたと聞き、非常に残念。戦後70余年経てなお、当時の面影をとどめていたことに驚嘆し、感謝するべきだろうか」と述べた。

 歴史を紡ごうとする時、(1)人々の体験・記憶(2)歴史資料(3)遺跡・史跡−の三つがそろうと、より再現率が高く後世へと伝えられると指摘。「現在、かつて台湾が日本の植民地だったことや、多くの沖縄の人が台湾に住んでいたことを知る沖縄人は少ない。沖縄と台湾をつなぐ重要な場所であった南風原病院跡にせめて、説明板を設置することはできないだろうか」と提起した。

 現在の台湾では、沖縄出身者の痕跡が残る場は少ない。学校や官公庁など公共施設の一部が修復後に使われているケースを除くと、南部の台南県佳里区にある、沖縄からの疎開者が身を寄せていた建物などに限られている。

(写図説明)台湾沖縄同郷会連合会の連絡先としても使われた旧南風原病院=2018年7月13日、台北市中正区南昌路

(写図説明)南風原病院の建物があった場所=12月22日、台北市中正区南昌路