宮古島市城辺西里添の西中集落に生まれ、両親と父方の祖母、弟2人と妹3人の9人で暮らしていた。1939年に西城尋常高等小学校の高等科を卒業し、洋服の仕立屋での見習いや父親の農業の手伝いなどをした。次第に戦争の色合いが濃くなり、海軍が今の宮古空港に飛行場を建設し、漲水港(現・平良港)の軍港化が進んだ。