食べ物の「おかわり」をしまくとぅばで「セイシン」という。沖縄語辞典を引くと「再饌」と書くが、使われた地域は点在していて、年配の方でも聞き慣れない人が多い。セイシンを知る人に聞き、語源を追った。

「懐かしいね」と幼少期を振り返る瑞慶覧長仁さん=12月28日、浦添市立西原児童館センター

「たった一つの言葉でも、いろんな歴史を持つ」と話す幸喜良秀さん=4日、沖縄市宮里

「懐かしいね」と幼少期を振り返る瑞慶覧長仁さん=12月28日、浦添市立西原児童館センター
「たった一つの言葉でも、いろんな歴史を持つ」と話す幸喜良秀さん=4日、沖縄市宮里

(中部報道部・勝浦大輔)

 「セイシン」を知らない人たちは「ナーチュマカン」(もう一杯)や「シーブン」(付け足す)などで「おかわり」を使っていたようだ。そんな中、18世紀ごろに首里や那覇、久米から士族が地方に移り住みつくった屋取(ヤードゥイ)集落出身で「セイシン」を知る人がいた。

 「小さい頃、よく使っていた。久しぶりに聞いて、田舎の風景が浮かんだよ」と懐かしそうに教えてくれたのは南城市大里の屋取・銭又出身の瑞慶覧長仁さん(75)=浦添市=だ。

 思い起こすのは、十分に食べるものがなかった戦後間もない幼少期。「親戚など、よその家に行った時にはいっぱい食べられた。『セイシンシムンドー』(おかわりしていいよ)『セイシンウニゲーサビラ』(おかわりお願いします)と交わしたよ」と振り返る。

 瑞慶覧さんにとっては日常語だった。それも標準語励行で徐々に方言を使わなくなり、今や口にすることも聞くこともない。小学5年のころ、方言札を家までつけて帰った時に、罰の札なのに、祖母は「ウマレジマヌクトゥバワシリーネ(生まれた所の言葉は忘れては)」と、褒めてくれた。そのことがが忘れられないという。「言葉は使わないとなくなっていってしまう」としんみり話した。

 出身地の沖縄市宮里に住む、演出家の幸喜良秀さん(80)もセイシンを知る一人だ。幸喜さんの先祖は、1600年代に中国福州市から久米へ渡ったとされる「良人(士族)」。久米からうるま市安慶名に渡り、さらに宮里に移った。「セイシンは親たちが使っていた。『チュファーラヤイビン』(おなかいっぱい)と返したりしたよ」。チュファーラは今でも福建省辺りでそのまま通じるらしい。「セイシンも中国から伝わった言葉ではないか」と幸喜さんは考える。

 しまくとぅばを研究する狩俣繁久琉球大学教授は、この言葉が点在する地域やルーツははっきりしないとしながら「首里系士族が使っていた漢語由来の言葉と思う」と推察。「中国の客人をもてなす中で定着したのではないか。宮廷の食文化と同じで一般には広まらない、誰も知らない単語だろう」と話した。

 幸喜さんの家系は、言葉だけでなく盆の風習など福州のいろいろなしきたりも受け継いだ。「地方に移った士族たちが、自慢できるのは血統だけだった」と読み解く。国際交流の中で培った「セイシン」のような言葉も、教養の高さ、アイデンティティーを表すものだったのだ。「たった一つの言葉でも、いろんな歴史を持つ」と幸喜さんはしみじみと語った。