音の記憶がある。「チリンチリン…チリンチリン…」。約40年前、昭和50年代のころだ。時間は夕方。鍋と小銭を持たされ、音のする場所を目指した。天秤棒(てんびんぼう)を担ぐ豆腐の行商のおじさんの鳴らす小さな鐘だった

▼神奈川県・三浦半島で長年魚の行商を続けてきた女性の魚料理レシピがスマホのアプリになったとの記事(26日付25面)で思い出した。売りながら、調理法を伝える。客にとってはありがたい存在だ

▼沖縄市の実家には、金だらいに魚を入れたおばさんも来た。日曜の朝に来るおばさんは離島出身の父と、よく魚料理談議に花を咲かせていた

▼集落ごとにあった小さな商店が地域の社交場だったのと同じように、品物とお金のやりとりだけでなく、会話も交わす。今では少なくなった行商の魅力はそこにあった

▼流通大手が手掛ける商品宅配サービスも行商の一種かも。知り合いの70代の女性は配達員が来る度、お茶やお菓子を用意していた。もちろんユンタク付き。先を急ぐ先方には迷惑だったかもしれないが

▼こちらは行商の未来形か。ネット通販アマゾンが住宅地での商品配達ロボットの試験運用を始めた。PR動画を見ると客は黙ってロボットから商品を取り出すだけ。商店が、行商が、そして配達員が消える。残るのは無言の商品の受け渡しのみ。便利でも、そんな未来は味気ない。(玉城淳)