
沖縄のプロ野球ファンにはたまらない、キャンプの季節がやって来た。これから1カ月間、9球団のキャンプ地に出掛け、一流選手や県勢のナマの姿、仕上がり具合を楽しむ人も多いだろう。そこで沖縄タイムス社は沖縄県出身で元プロの新里紹也さん(46)、大野倫さん(45)、糸数敬作さん(34)を那覇市牧志のBaseBall&居酒屋「野球小僧」に集め「プロ野球沖縄キャンプ2019 ほろ酔い夢ト~ク」を開催した。おいしいビールを飲みながらキャンプの見どころや注目する県勢、さらにペナントレース予想まで、OBの3人は舌好調。司会の漢那邦洋さん(41)、タレントのよっしゃあ金城さん(32)も加わったスペシャルトーク、一足先に紙上でプレーボール!=一部敬称略(運動部・磯野直)
プロ野球語り亭 ほろ酔い夢ト~ク 参加者
元ダイエー・近鉄 新里紹也(しんざと・しょうや)
1972年読谷村生まれ。沖縄水産で90年、1番・三塁手で夏の甲子園準優勝。沖縄電力を経て97年ダイエー(現ソフトバンク)入団。2001年に近鉄(現オリックス)に移籍し02年に引退。
現在はベースボールアカデミー「89塾」を主宰し、ジュニア育成に尽力。元プロ初の県内高校野球監督として、普天間高監督も務めた。
元巨人・ダイエー 大野倫(おおの・りん)
1973年うるま市生まれ。沖水で90年夏の甲子園は5番・右翼手、91年は4番・投手として2年連続準優勝の両方を経験。野手に転向し、九州共立大を経て96年に巨人入団。2001年ダイエーに移籍し02年引退。
現在は会社員の傍ら、うるま東ボーイズ監督を務め、県内での野球普及に努める。
元日本ハム 糸数敬作(いとかず・けいさく)
1984年沖縄市生まれ。中部商時代の2002年に夏の甲子園出場。亜細亜大ではエースとして東都1部リーグや明治神宮大会で優勝し、07年に日本ハム入団。投手として活躍し13年引退。
現在は読谷村でダイビングショップ「Diving20」を営む傍ら、野球文化のないラオスへ野球用具を贈る活動に取り組む。
漢那邦洋(かんな・くにひろ)
1977年那覇市首里生まれ。
月~金の午後2時、RBCiラジオ「スポーツフォーカル」、火曜日午後9時、FMぎのわん「ギノガルフ」のパーソナリティー。
ツイッターのアカウントは@kannakunihiro
よっしゃあ金城
1986年那覇市生まれ。本名は金城諒でタレント。
イベント会社「アスリード」代表、「プロ野球沖縄県人会」の運営事務局事務局長も務めている。
常勝球団のキビシ~い現実
漢那邦洋 まずはプロ時代の話から!
新里紹也 ダイエー時代は王貞治監督。当時は秋山幸二、工藤公康さんらスーパースターがそろっていた。若手でもトップが小久保裕紀さんで、僕や井口資仁、松中信彦らがサブ的な役割。入った年に21年ぶりのAクラス入り、翌年に優勝して黄金時代が始まった。
大野倫 巨人時代は長嶋茂雄監督。松井秀喜はすでにいて、翌年に清原和博、さらに江藤智、工藤さんなど大物がFAでたくさん来た。5年在籍し、移籍したダイエーでは王監督だった。
漢那 ONの下でやってたんだ!
大野 「巨人軍は紳士たれ」と、とにかく規律が厳しかった。寮内の当番は遅刻厳禁で、遅れると1秒1万円、40秒遅刻して40万円。これでウチナータイムが直った。ファームの時、落合博満さんに2時間つきっきりで指導してもらったこともある。落合さんの練習中は息子・福嗣君の子守も若手の仕事。これも精神的に鍛えられたな…(遠い目)。一方でダイエーは自由な気風。両極端過ぎて、どちらもやりにくかった。
糸数敬作 日ハム入団時の監督はヒルマンさん。稲葉篤紀さんがバリバリの現役で、立て続けに優勝していたころ。僕は特にダルビッシュ有と仲が良かった。大谷翔平とは僕が最後の1年一緒だった。
漢那 糸数さんはCSや日本シリーズで先発していましたもんね。皆さん、キャンプ中の食事の話は。
糸数 現役時代はずっと名護キャンプで、栄養士がいてメニューも豊富で沖縄料理も出る。どれを食べるかは選手が選ぶ。野菜だけの人、コメばかりの人…。中には1本5千円ぐらいの怪しい油を持参し、それをドボドボかけて食べている人もいた。最後まで正体不明だった。
一同 「怪しい油」って何よ。
大野 僕は宮崎で常に宮崎牛。キャンプに入る時、JAから1頭寄付があるからね。現役時代、痩せやすい体質で食事が一番の課題だった。とにかく練習がハードで1日で3キロ減る。翌日には戻さないと体がもたない。ベストは86キロだったけれどキャンプで失敗し、73キロまで落ちて2年目のシーズンを過ごした。それではボールが飛ばない。
漢那 キャンプはやっぱり厳しい?
新里 高知は寒くてね、折れたバットを燃やしてたき火をしていたよ。1軍選手にとってキャンプは調整の場だが、僕ら若手はいかにアピールするかが勝負だった。だから開幕1軍を勝ち取っても、すでに体はガタガタ。5月ぐらいには大体2軍に落ちる。僕は開幕1軍はなかったけれど、主力もバテる7~8月ごろに1軍に上がることができた。出られるだけでもチャンスなんだ。
大野 巨人1年目の打撃コーチは武上四郎さん。キャンプ中のマシンバッティングは、毎日4時間ぶっ通しでやった。途中から手とバットをテーピングで巻いて続けて、最後は全員けいれんを起こし、それで練習が終わるの繰り返し。
漢那 沖水時代の話ですか。
大野 違う違う。沖水よりプロの方が全然しんどい。比べものにならない。
糸数 僕は自主性を重んじる日ハムより、亜細亜大の練習の方がきつかった。ご飯以外はずっと練習…。だから、毎日3時間ぐらいは草むらに隠れていた。
よっしゃあ金城 昔、日ハムキャンプのバイトで鵜久森淳志の打球が股間に当たった時、氷で冷やしてくれたのが糸数さん。その節はお世話になりました。
一同 何だその話は。バイトが選手にお世話されてどうする?
糸数 全然覚えていないです。