沖縄県名護市辺野古に、1950年代から70年代まで営業していた銭湯「武の湯」の建物が残る。老朽化により取り壊す前に、お世話になった住民たちに見てもらおうと、3日に内部が公開された。触れ合いの場だった銭湯には、住民たちの思い出が詰まっている。(社会部・岡田将平)

湯船跡に座る女性を撮影する嘉陽さん(左)

武の湯の前に立つ嘉陽宗隆さん=3日、名護市辺野古

湯船跡に座る女性を撮影する嘉陽さん(左) 武の湯の前に立つ嘉陽宗隆さん=3日、名護市辺野古

住民「懐かしい!」

 「あんなにちっちゃかったの?」。「武の湯」の女風呂の湯船を見て驚く女性に、嘉陽宗隆さん(59)が笑顔で声を掛けた。「あんたが大きくなったの」。蛇口は取り外され、脱衣場もないが、女性は中を見渡し、何度も「懐かしい」と言った。

 銭湯は嘉陽さんの両親が1957~59年ごろに建てた。辺野古に米軍キャンプ・シュワブが建設される頃。嘉陽さんによると、もともと辺野古の住民はお湯を温めて体にかけたり、五右衛門風呂を使ったりしていたが、基地建設の仕事をする人たちが多く暮らすようになったため、銭湯を始めたらしい。

優しかった家族の記憶

 嘉陽さんも毎日、銭湯に入った。泳ぎ、潜り、体にせっけんを付けて湯船のへりを滑る。子どもの遊び場だった。心に残るのは、優しかった祖母と、祖母の弟「じいちゃん」の記憶。

 祖母は番台に座っていた。嘉陽さんがわんぱくなことをしても、きつく叱ることはなかった。「じいちゃん」はボイラー室でまきをくべて、お湯を沸かした。ボイラー室で焼き芋を作ってくれることもあった。

 内風呂のある家庭が増えたことで客は減り、銭湯は70年代に廃業。男風呂は湯船を取り壊して駐車場として使い、女風呂は倉庫となっていた。

できれば残したいけれど…

 嘉陽さんが解体を考えたのは、昨年の台風がきっかけ。建物は老朽化しており、屋根が飛ばされ、地域の人たちに迷惑が掛かってはいけないと思った。取り壊しに向けて片付けをしている時、湯船が姿を現してくると、懐かしさが込み上げた。他の住民もそうだろうと思い、感謝の気持ちを込めて、住民たちにも見てもらいたいと考えた。

 1月20日に内部を公開すると、30人ほどが訪れ、口々に思い出話を語った。家族と来たこと、友だち同士で来た時のこと。「触れ合いの場という感じだった。裸の付き合いですからね」。3日は、その時来られなかった人のために再び公開した。

 解体時期は未定。できることなら、文化財などとして建物を残したい-。嘉陽さんには、そんな気持ちもある。「これがなくなれば、思い出のよりどころがなくなってしまう」。取り壊すのはさみしい。