著者の清田政信が活躍したのは1960年代から80年代。沖縄は日本復帰前後に当たり、だれもが他者へ届く言葉を欲していた。そんな時代と逆行するように清田は自らの内部へ言葉の矢を放っていた。「ぼくは伝達するために書かない」「ぼくは自分の破滅にたえながら書く。あるいは破滅する自分の不在の貌を喚びもとめその実質を根拠づけるもののない無意味の深みに狂おしい眼醒を書く」と。この志向の強さゆえに、やがて病にたおれ表現活動も中断する。

渚に立つ(共和国・2808円)

 ところが本書によって清田は再びよみがえったのだ。単著としての出版は実に34年ぶりだという。もちろん清田の近作を含めたものではない。出版社や編集者の熱意によるものだ。「編集後記」には次のように記されている。「本書には清田政信の既刊単行本に未収録の連載『沖縄・私領域からの衝迫』(『新沖縄文学』1980年9月号から82年6月号まで計7回)を中心に、モティーフを同じくするほぼ同時期の作品から数編を選んで収録した」と。

 収録された7回の論考は、金城朝永、仲原善忠、比嘉春潮、伊波普猷など沖縄学に関わった人物について論じたものである。彼らの思想の中核を焦点化して業績を浮かび挙がらせている。

 しかし、それ以上に興味深いのは、彼らを通して清田自身の思索や文学への思いが語られていることだ。懐かしい文体に触れ、清田ワールドの開示に心躍らせることができる。清田の語りは真摯(しんし)で、自らの現在や病への予感さえ語っている。改めて感得されることは、文学の自立を目指して奮闘した先駆者の自負や、孤独を受け入れて自らの信じた隘路(あいろ)を進む内景が赤裸々に吐露されていることだ。さらに七つの論文の冒頭に置かれる詩は、代表作「ザリガニといわれる男の詩篇」をほうふつさせ、なんともはや蠱惑(こわく)的ですらある。

 本書は、清田ファンにとっては紛れもなく貴重な1冊になる。また清田の営為を初めて知る人々にとっても、清田政信という詩人をこの沖縄の地で擁していたことに誇りを覚える1冊になるだろう。巻末に付された解説「清田政信とは誰か」(松田潤)も本書を理解する上で随分と訳に立つはずだ。(大城貞俊・作家、大学非常勤講師)

 【プロフィール】きよた・まさのぶ 1937年久米島生まれ。琉球大学在学中に「琉大文学」に参加。主な著書に詩集「清田政信詩集」「疼きの橋」、評論集「情念の力学」「抒情の浮域」「造形の彼方」など