「俺はベトコンに恨みはないぜ。彼らは俺を『ニガー』とは呼ばない」-。速射のジャブのように繰り出すベトナム戦争反対の言葉はラップのようだった
▼4日、74歳で急逝したボクシング元世界ヘビー級王者のムハマド・アリが徴兵を拒否した1966年、米国は戦争賛成が主流だった。ニューヨーク・タイムズは「米国にとって許し難い存在」と指弾。政府はベルトを奪い、社会的に葬ろうとした
▼アリは1人で闘いを挑む。形式的に入隊すればすぐ退役させると軍幹部に持ちかけられても、「軍服を着たら戦争支持になる」と拒否。「アジアの貧しい人を殺すなんて冗談じゃないぜ。黒人を差別する白人こそ自由の敵だ」と訴え続けた
▼次第に賛同の輪が広がり、ベトナム反戦や黒人解放運動につながっていく。これが「20世紀最高のアスリート」と称される理由だ。名誉と富を失っても、人間には守るべき何かがあると教えてくれた
▼96年、パーキンソン病の震える手で五輪の聖火をともしたアトランタは、かつて世論の支持を得てリング復帰を果たした地。人種の融合をたたえる大会の象徴になった
▼あれから20年、米国では差別的言動を繰り返す人物が大統領候補になった。日本でも、マイノリティーに「死ね」などと叫ぶデモがまかり通る。同じ愚を繰り返すのか、私たちはアリに見られている。(磯野直)