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なぜ普天間は危険になった? 閉鎖一転、本土から部隊増

2019年2月13日 08:05

そもそも辺野古~県民投票を前に~(2)

 2003年11月に普天間飛行場を上空から視察した当時のラムズフェルド米国防長官は「世界一危険な米軍施設」と驚いた。

米国防総省が米軍普天間飛行場の閉鎖を計画していた1968年12月策定の内部文書。赤で色付けされた部分は「普天間の海兵隊ヘリコプター基地は閉鎖する」と明記している

 宜野湾市のど真ん中に位置し、市の面積の約25%を占める。海兵隊の主力輸送機オスプレイ24機のほか、55人を一挙に運べるCH53E大型輸送ヘリ12機、AH1Z攻撃ヘリ12機など、計58機が常駐する。外来機もたびたび飛来する。

 市によると、周辺には120カ所の学校や公共施設などが存在し、「市民は絶えず墜落の危険性と騒音などの基地被害にさらされている」という。そもそもなぜ危険になったのか。

 米軍は1945年の沖縄戦で占領した土地に普天間飛行場を建設した。その施設管理権は57年4月に陸軍から空軍、60年5月に空軍から海兵隊へ移った。

 59年7月には海兵隊のヘリ中隊が、普天間に移駐されたと新聞記事に残る。地上戦闘兵力である第3海兵師団は57年までに沖縄へ移転したが、普天間の航空部隊はヘリ4~5機が常駐するだけで、「休眠状態」だったといわれる。

 68年12月には、米国防総省が普天間の閉鎖を検討していたことが米公文書で明らかになっている。所属機は69年でヘリ4機、固定翼16機。これでは「朝鮮半島有事で決定的な役割を果たせない」と分析していた。

 ところが69年9月、首都圏の航空基地を整理縮小する目的で、神奈川県厚木基地のヘリを普天間に移設する計画に修正。69年11月から、第1海兵航空団第36海兵航空群の拠点施設となり、70年以降、ヘリ80機、固定翼26機に増強された。76年返還のハンビー飛行場などからの移転もあった。

 76年には第1海兵航空団の司令部が岩国からキャンプ瑞慶覧に移転。普天間飛行場は嘉手納基地の補助飛行場として整備され、航空機誘導用レーダーや格納庫が新設されるなど機能強化が進んでいった。

 80年にOV10軽攻撃機が滑走路に、2004年にCH53D大型ヘリが沖縄国際大学に墜落した。17年12月の緑ヶ丘保育園と普天間第二小学校など、部品落下事故も相次いでいる。(政経部・福元大輔)

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